人生100年時代、最大の懸念は「お金」と「健康」。特に、予期せぬケガによる高額な医療費は、老後の生活設計を大きく狂わせます。なかでも高齢者の「転倒」による骨折は、手術や介護で大きなコストがかかることも珍しくありません。多くの人は「足腰のせい」と諦めがちですが、もしその根本原因が、もっと手軽に予防できる「口の中」にあったとしたらどうでしょう。歯が減ることで全身の筋力が低下し、転倒リスクが2.5倍に跳ね上がるという事実は、歯のメンテナンスを怠ることが、将来の経済的損失に直結することを意味します。本記事では、「転倒と歯」のディープな関係について、幸町歯科口腔外科医院院長の宮本日出氏が解説します。
「最近つまづきやすくなった」「やっぱり、歳かな」…その思い込みが“寝たきり”を招く。60代以上の転倒、本当の犯人は足腰の衰えではなかった【歯科医師が解説】
歯が抜けることが全身の筋力低下に影響
実は歯が抜けることと全身の筋力低下の関連は、近年の研究で明らかになっているのです。
永久歯は28本あります(智歯<親知らず>を除く)。残りの歯が19本以下で入れ歯を使用していない人は、20本以上の人に比べて転倒の経験値が有意に高くなります。特に65歳以上の19本以下で入れ歯未使用の人は、20本以上の人に比べ、3年後の転倒リスクが2.5倍高くなります。
つまり佐藤さんのケースは、上下の奥歯を抜いたあとに入れ歯を入れていなかったことが原因だった可能性が考えられるのです。
そのほかにも歯の健康が全身の筋力低下に影響することが指摘されています。
噛む力と脳の活性化
噛むことは脳の血流が増加し、脳の運動機能や平衡感覚を司る神経を刺激します。歯が抜けて噛む力が弱まると脳の血流量が減少し、運動能力が低下する可能性が生じます。また歯の数が少なくなると、認知症リスクが高まることも知られています。
食いしばる力と全身の筋力
重いものを持ち上げるときに力を入れることを、奥歯を「食いしばる」といいますが、食いしばりにより全身の筋力が(一時的に)向上します。反対に歯の数が減ると「食いしばり」ができなくなり、全身の筋力低下に繋がることがあります。
姿勢の安定
噛む力の低下は姿勢を安定させる役割も担っています。噛む力が弱まると、バランスが崩れ姿勢の安定性が低下するので転倒しやすくなる可能性があります。
栄養状態の悪化
噛む力が弱くなると食べる能力(咀嚼能力)が低下し、食事量の減少や偏食につながります。これは栄養状態悪化を招き、筋力低下による転倒リスクを高める原因となり得ます。
9割以上に自覚がない「飲み込み機能」も影響大
転倒リスクを高める要因は、このほかにもあります。それは飲み込む機能です。つまり「嚥下機能の低下」によって食事量が減る可能性があり、低栄養から筋力低下、そして転倒リスクが増える……といった悪循環を引き起こしかねません。
嚥下機能が低下すると聞くと「むせる」から、「食事が上手く飲み込めない」「滑舌が悪い」「食事時間が長い」などを連想するかもしれません。そして「そんな症状はないから、私は大丈夫だ!」と勘違いする人がなんと多いことか……。
実は、嚥下機能管理を全国でも積極的に行っている志木市(埼玉県)の集計では、嚥下機能が低下しているにもかかわらず、自分で認識できる人はわずか5%程度であることがわかっています。つまり、本当に嚥下機能が低下している人は、「むせる」などの生態防御反応が麻痺するので、自覚できないのです。
しかし、嚥下機能の低下は、高齢者の死因第3位の誤嚥性肺炎の発症に直結するので、絶対に見逃せないところです。
口腔機能の低下は早い段階から始まっています。日本老年歯科学会の報告によれば、すでに40歳代の3人に1人、50歳代の2人に1人に機能低下が起こっています。さらに年齢とともに割合は高まり、60歳代では6割以上、70歳代では8割以上に口腔機能低下がみられます。
では、年を重ねてからの転倒リスクを減らし、健康を維持するには、いったいどうすればよいのでしょうか?