これだよ、これ!…「理想の暮らし」にはしゃぐ夫婦だったが…

こうして地方移住を決めた西沢夫婦でしたが、はじめから物件を購入することには迷いがあり、当面の住まいは賃貸を選択しました。行政の斡旋で家賃5万円の中古戸建てを借りて、春から新生活をスタートさせます。

移住先の住まいは、誠さんの望みどおり、窓から富士山が見えます。朝は小鳥のさえずりで目が覚め、日中は夫婦で自然豊かな景色のなかを散歩する毎日。空気もおいしく感じられます。

生鮮食品以外の物価は都会とさほど変わりませんでしたが、外食や交通費などの出費が減り、全体の生活費は減りました。スーパーも車で5分ほどのところにあり、不便は感じません。

登山に行っても家が近いので、無理せず楽しめるようになり、なんだか体力もついてきた気がします。

また、移住に際しては「よそ者扱いされてしまうのではないか」という不安もありましたが、夫婦は地元住民に積極的に声をかけるように心がけ、徐々に顔見知りが増えていきました。気づけばご近所から野菜のおすそ分けをいただくように。

「これだよ、これ! 俺はこんな生活に憧れていたんだよ!」

はしゃぐ誠さんと、そんな誠さんを優しいまなざしで見守る亮子さん。思い描いていた以上の「理想の暮らし」に大満足の2人です。

しかし、そんな日々は決して長くは続きませんでした――。

幸せな日々を壊した“些細なきっかけ”

理想的な日々を過ごしていた夫婦でしたが、少しずつ歯車が狂いはじめました。きっかけは、車で5分の場所にあったスーパーが閉店してしまったことです。

代わりのスーパーは車で30分ほど離れた場所にあり、夫婦はまとめ買いをするようになりました。必然的に、1回の買い物で大荷物になります。

その日も、飲料や野菜などを大量に買い込み、買ったものを車から自宅に運ぼうとしたその瞬間、亮子さんが玄関先で転倒。足首を捻挫してしまいました。

入院するほどではないものの、車で1時間近くかかる病院へ何度か通院する必要が出てきました。最寄りの病院は移住前に確認していたつもりでしたが、整形外科は盲点です。

そして、季節は秋となりました。冷え込む日が増えてきたこともあり、亮子さんはまた転倒してしまうことを恐れて引きこもりがちに。そうなると、誠さんも自分だけ趣味の登山に行くのは気が引けます。夫婦でぼんやりと山を眺めたまま、1日を終えることが多くなっていきました。

そして、冬が近づいてきます。移住して半年ほど経ったある日、木枯らしが吹く外を見つめながら亮子さんがポツリと呟きました。

「やっぱり東京のほうがいいかな……」

しかし、東京の家には娘家族が住んでいて、いまさら出ていってほしいとは言いにくい状況です。

どうしてこんなことに……。

誠さんは、今後どうするのが正解なのか、まだ答えを見出せていません。