フルタイムではないにしろ、きちんと働いている。それなのに、いまひとつ働いている実感が持てない。もしそんな風に感じる人がいれば、それは根深い「正社員の呪縛」によるかもしれない。本記事では、長年非正規雇用で働きながら社会問題について発信してきた文筆家・栗田隆子氏の著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)を一部抜粋し、「働く感覚」や日本の労働事情について考えていく。
「誰にでもできる」…単発の仕事の裏側
でも私が「働いているのに、働いてない」ように感じてしまう理由はそれだけではない。もっといろいろな理由が存在している。
まず私にとって単発の仕事の経験が多かったことも、自分が労働者ではない、働いてないという感覚につながっている。
単発の仕事は、指示されてすぐに仕事ができるという能力、いわば即戦力を求められる。そして指示する人の態度やその内容は非常に厳しく、難しい場合も多い。仕事内容としては単発の仕事が一番私にとってはきつく、ついていけなかった。この手の仕事の募集にはたいてい「誰にでもできる仕事」などと書かれている。
確かに学歴や資格は問わないとしても、能力的に誰にでもできる仕事では決してない。一度、朝一番で工場に行って二十分後に「クビ」を言い渡されたこともある。
工場で仕事の指示を受けたものの、教えられたとおりの工程がうまく理解できず、指示をしていた若い男性が不意に姿を消し、代わって責任者と思しき中年の男性が現れて「今日はもう帰ってほしい」と言われたのだ。賃金はどうなるのかと派遣元に問い合わせ、その日に稼げる予定程度の額は支払われたものの、衝撃のできごとではあった。
ここまで酷いことにならなくても、物覚えが悪く要領もよくない人間にとっては単発の仕事はただただ右往左往、まごまごしたままで終わってしまう。冷や汗をかき、疲れ果てても実際に仕事をこなせていたかといえば、仕事を覚えられず怒られ、迷惑をかけるような状態。仕事をした賃金というよりも、怒られた分のお金をもらったとしか思えない経験だった。