フルタイムではないにしろ、きちんと働いている。それなのに、いまひとつ働いている実感が持てない。もしそんな風に感じる人がいれば、それは根深い「正社員の呪縛」によるかもしれない。本記事では、長年非正規雇用で働きながら社会問題について発信してきた文筆家・栗田隆子氏の著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)を一部抜粋し、「働く感覚」や日本の労働事情について考えていく。
誰も幸せになれない日本の労働事情
非正規労働者が増大する一歩手前(それはいわば大卒男性が時給で働くようになった状況を指す)の1995年、経団連(当時の日経連)の「新時代の『日本的経営』」では三種類の労働者が想定された。
その中で単純労働を担う「雇用柔軟型」形態の労働の多くは現在、「誰にでもできる」という名目で、「即戦力」、すなわちすぐに仕事を身につける能力が求められる。
コミュニケーションを含め、柔軟にその場に合わせた能力を求められているといっていい。労働条件が不安定なことに加え、どんな仕事にでも合わせられる能力を指している現状、「柔軟」という言葉が実に残酷に響く。「社内ニート」という日本の中でしか存在しないような言葉があるが、1970年代後半〜80年代に流行った「窓際族」(注2)という言葉に少し似ている。どちらも会社の中のメインストリームにいられない存在を指す。
とはいえ窓際族という言葉が流行った時代に、窓際族の当人は「出世できない」とは思っていただろうが、「労働者と思えない」「社会人とは思えない」と悩んでいたとは思えない。しかし「社内ニート」という言葉は会社にいながらも「何もしていない」相手をあるいは自分を貶めるときに使う言葉で労働者としてのアイデンティティは崩壊しかけている、そこは「窓際族」と似て非なるものだ。
同じように仕事をしていないとはいえ窓際族から社内ニートと言葉が変わった背景には、終身雇用制から非正規雇用の増大、それに伴い企業内教育を行う必要のない即戦力を求める企業の増加という社会の変化が色濃くにじみ出ている。
また冒頭に引用した田中美津はどこにいても「異邦人」という無気力さにつらさを覚えていたとあるが、「勤務そのものは楽だったし、『気楽な稼業』(注3)とまではいかないものの、「働く」ということがイヤだった訳では決してない」とある。
いまの労働事情においては楽な仕事というものは減少しているし、「働くことがイヤだ」とは多くの人が感じているにもかかわらず、その表明はかなりタブーとなっている。
この社会は「仕事をして生計を立てるのが当たり前」となっているけれど、最近は仕事をゆっくり確実に身につけられる職場が減ってきていると感じる。それに加えて仕事で求められる能力が確実に高くなり、仕事ができる人はますます仕事を抱え、仕事ができない人は「社内ニート」となり、それにいたたまれず仕事を転々とするといったことが起きている。
その結果、負わされる仕事量においても格差が生じているのではないか。仕事を負わされる側の人はその仕事量に比例して賃金が増加するわけではないので、正直誰にとっても幸せではない状況が起きているように思う。
(注2)2023年に公開された黒柳徹子原作の映画『窓ぎわのトットちゃん』は、自分自身が最初の学校では廊下によく立たされていたという当時の先生の話と同時に、当時流行っていた「窓ぎわ族」という言葉を題名にしたと「あとがき」に記載されていた。黒柳徹子は最初に入った学校を「退学」させられた。その学校の中での居場所のなさ、歓迎されていない状態を「窓ぎわ」という言葉で表現したと思われる。
(注3) 戦後の高度成長期に人気を博したコミックバンド「ハナ肇とクレイジーキャッツ」の曲『ドント節』(作詞:青島幸男、 作曲:萩原哲晶)の「サラリーマンは 気楽な稼業と 来たもんだ 二日酔いでも 寝ぼけていても タイムレコーダー ガチャンと押せば どうにか格好が つくものさ」からきている。1995年、青島幸男は「世界都市博覧会の中止」を公約に掲げ都知事に当選。都市博覧会は公約通り中止したが、新宿駅から都庁に行く地下道に住んでいたホームレスの人々を追い出し、「動く歩道」を設置したことも明記したい。リストラ(解雇)が吹き荒れた時代、サラリーマンからホームレス状態になった人もいただろうに、と思う。
栗田 隆子
文筆家