就職氷河期やリーマンショックを経験した団塊ジュニア世代は、貧乏くじ世代と呼ばれることも。彼らは50代になったいま、リストラや転職についてどう考えているでしょうか。『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)著者でルポライターの増田明利氏は、50歳~54歳の5人にインタビューを行いました。詳しくみていきましょう。
辞めたくなるように誘導するんです…就職氷河期世代の50代サラリーマンが暴露。終身雇用の国・日本で「使えない会社員」が受ける仕打ち
5年違うだけでどうして…バブル世代との大きな差
――大学、社会人と進んでいく過程ではどんな出来事やエピソードがありましたか。皆さんは年齢的に貧乏くじ世代と言われることがありますが。
田淵:わたしは就職したのが96年なんですが、この年は就職率が就職氷河期最悪の年なんです。わたしの場合は70社近く採用試験を受け、何とか就職浪人にならずに済んだ。当初の希望とは違っていたけど今はいい会社に拾ってもらったと思っている。
望月:時代が良くなかったから安定した公務員が第一志望だった。日程が重ならないよう国家、地方の採用試験を受けまくったけど結果は全滅でして。最後は母方の祖父の紹介というかコネで今の会社に潜り込んだわけ。だけどここまで続いているのだから合っていたんでしょう。今も特に不満はないから。
安田:皆さんには悪いけどわたしはバブルの末期にちょっとだけかすっているんです。短大に入学したのが89年で景気の良いときだったから就職は苦労しなかった。
菅原:どんな感じ?
安田:短大卒は一般事務職要員なので大手、著名企業からドサッと求人票が来ていました。求人倍率は4倍ぐらいだったはずです。
早瀬:雇用機会均等法が施行されていたけど四大卒の女性を敬遠する会社が結構あったよね。男性社員のお嫁さん候補としても短大卒は重宝されていた。
安田:面接3回で内定が出て。学校全体の内定率はほぼ100%、半数以上が名の通った会社に入れた。いい時代だったわ。
望月:いい思いもしたんですか?
安田:そうね。お給料は短大卒の平均額よりちょっとだけ上というレベルだったけどボーナスが凄かった。1年目の冬は手取りで40万円もあったのでびっくりだった。
菅原:わたしの姉も短大卒で証券会社に就職したのですが、バブルの真っ只中はボーナス50万円が当たり前だったと言っていた。社員旅行はグアムとかサイパン、忘年会は帝国ホテルとかプリンスホテルの宴会場、冬は苗場や野沢温泉でスキー三昧。そんな自慢話を聞かされて嫌な気分になったことがあったな。
田淵:我々はやっとの思いで就職しても厳しい時代が続いたからな。生まれた年が5、6年違うだけでどうしてこんなに差があるんだって恨んだものですよ。
早瀬:名前の通った会社でも内定取り消しがあったよね。
望月:内定をくれた会社が入社直前に倒産しちゃったということもあったな。卒業式直前だったので大卒フリーターになった友人がいた。その後もかなり苦労したみたいでしたね。
菅原:だからバブル絶頂期にいい思いをした7、8年上の世代とは仲が悪いんだよ。変わっているのが多かったから。仕事が出来るか否か問われると出来ない人が多かった。ちょっとずれてて常識のない人もいたな。正直なところバブル組は嫌いだった。
早瀬:わたしもバブル組とは反りが合わなかった。若いときにボーナスの使い道を聞かれ、特に予定も欲しいものもなかったのでとりあえず郵便貯金に入れておくと答えたら。お前はチマチマしているなあ、金は使ってこそ価値を生むんだなどと説教され、大きなお世話だよと反感を抱いたことがあった。
安田:女性も同じようなものですよ。ロッカー室は女の戦場、そこでなめられたら女はお終いとうそぶいていて。ブランド物の服、時計、バッグなどを自慢しあっている人がいた。よくそんなにお金があるなと思った。
菅原:そういう人って実は借金まみれなんだよね。自分の会社にも同じような女子が数人いましたよ。ある日、サラ金から給料の差し押さえ通知が届いたり、会社に名前を言わず友だちだと言って頻繁に電話があった。こういうことが続くと失踪する、突然退職するで後始末が大変だった。
田淵:バブル世代でチャラチャラしていた人たちは今どうしているんだろう?
望月:うちの会社だとかなりの人がもういなくなっていますよ。バブル初期の人はそろそろ定年を迎える頃だけど、途中で辞めていく人が多いから年次によっては入社したのが20人なのに残っているのは4、5人ということもある。
菅原:残っている人だと上は取締役、執行役員と出世しているけど、○○担当とか主事という名目だけ与えられているだけと差がある。これがサラリーマンなのよ。