1971年~1974年に生まれた団塊ジュニア世代。好景気に沸く中学・高校時代に描いた“明るい未来”とはかけ離れた現実を生きている人も少なくありません。新卒で商社に入社後、48歳まで“安定のホワイトカラー”だった稲葉彬さん(仮名)もその1人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。

大失敗でした…年収240万円の51歳男性、商社マンから「フリーター」に転身した“まさかの理由”【ルポ】
最初は順調だったが…家族の“目”が痛い
加盟金は20万円。数種類の商品仕入れに30万円を払い、自宅マンションを事務所代わりにしてスタートしたのが21年8月。「最初の2か月だけはまあまあの売上があった。友人、知人、親類のご祝儀注文があったから」
大量のチラシを作り新聞の折り込みにした効果もあり50件ぐらいの注文が入ってきた。ところが1度きりのお試し購入ばかりでリピーターを獲得できなかった。
「サンプル品を持って飛び込み営業をやってみたけど反応があるのは30軒に1軒。こんなんじゃ利益なんて出ませんよ」
これ以上は無理と悟って廃業したのは12月半ば。たった4か月しか続かなかった。
「借金はしなかったけど儲けが出たのは2か月だけ、微々たる金額でした。後は赤字でした、馬鹿みたいでしょ」
奥さんには「フランチャイズなんて危ないと言ったじゃない」と怒られるし、2人の娘にも「パパ、しっかりしてよ」と不安がられる。家族からの信用はガタ落ち。自分の両親からも大丈夫なのか? と心配された。面目は丸潰れだった。
「商品の仕入れは買い取りだったので返品は不可。妻の目につくところに置いておくと不機嫌になるので自分の姉弟、従兄のところに送って使ってもらいました。ご近所さんにも無償で配って処分したんです。大損でしたよ」
就活を再開するも、閑古鳥…単発バイトで日銭を稼ぐ暮らしに
22年の年初から改めて就職活動を始めたが良い結果は得られていない。
「燃料販売会社の営業と社会福祉法人の労務管理の募集に応募したのですが、1週間後には提出した書類一式を送り返してきた。前の会社を辞めてからの1年2か月は空白期間とみなされるみたいです。ずっと無職だった人ということなんでしょう」
就職サービサーにも登録し直したが連絡、紹介などは1度もない。だからアルバイトが命綱なのだ。「だけど短期の場所は嫌だよ、変わっている人が多いから」
やらされることも単純労働ばかり。朝から夕方までひたすらミカン8個をネットに詰めたり、中国やベトナム製の缶詰、瓶詰に日本語のシールを貼り続けたり。
「ネジの仕分けというのをやったときには、終わって30分ぐらいは目の焦点が合わなくて。頭がクラクラしました」
どなたでもできる簡単な仕事と募集しているが、これをやりたくてやっている人はいないだろうと思った。
「単発アルバイトの現場では名前を呼ばれることがないんです。紹介会社の名前で呼ばれるんです。タイミーさんとかシェアフルさんとか。最初はすごく嫌だった、だけどこっちも2、3日出るだけだし、話をするのは作業手順の説明を受けるときだけだからね。どうでもいいかって思うようにしました」