1971年~1974年に生まれた団塊ジュニア世代。好景気に沸く中学・高校時代に描いた“明るい未来”とはかけ離れた現実を生きている人も少なくありません。新卒で商社に入社後、48歳まで“安定のホワイトカラー”だった稲葉彬さん(仮名)もその1人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。

大失敗でした…年収240万円の51歳男性、商社マンから「フリーター」に転身した“まさかの理由”【ルポ】
新卒で商社へ…48歳までは安定の「ホワイトカラー」だった
今はこんな不安定な働き方をしているが、大学卒業後の約26年間はそこそこ安定したホワイトカラーだった。
「新卒で就職したのは理髪店・美容院に業務用品を販売する専門商社でした。シャンプーやリンス、ヘアダイ、パーマ液をはじめとしてプロ用の調髪鋏、スタッフさんのユニフォーム、調髪台などお店をやっていくうえで必要なものはほとんど扱っていました」
経営コンサルタント的なこともやっており、お店を改装する際にはレイアウトを提案したり、施工業者との橋渡しをしたりもしていた。
「2015年頃まではほぼほぼの売上・利益を出していたのですが、それ以降はダラダラと下がってゆき歯止めが効かなかった。特に理髪店がどんどん減ってしまいましてね」
代わって台頭してきたのがカットのみの低価格店。「シャンプーなし、顔剃りなし、整髪料も使わない。調髪するときに使うケープもネットで安いものを買う。我々が入っていける余地がなかった」
それでも郊外の理髪店は生き残っていたが、これも人口の減少があって下り坂になっていった。
「美容院向けも同じように売上が下がっていった。シャンプー、リンス、トリートメント液などはドラッグストアとかホームセンターで花王や資生堂の特売品を買った方が安上がり。ヘアダイも同じ。コールドパーマ液だけは買うけどあとはいりませんというお店ばかりになっていきました」
こういう事情で業績は長らく低迷。賞与は最盛期の3分の1程度に減額。昇給はほとんどなしに。
「営業所も統合することになりましてね。わたしは城北地区の営業所の次長だったのですが統合先では役職なしの営業マンに降格。主事という肩書は付けるけど何の権限もない。こんな通達があったんです」
月6万円の管理職手当がゼロに。賞与も更にカットということで年収は90万円以上もダウンすることになる。
「自分のチームが受け持っていた理髪店、美容院の廃業が一段と増えてきたのでもう駄目だと思ったんです。20代、30代の人も辞めていったし」