高価なスーツは手に入っても、簡単には手に入らない大事なもの

「清潔感」というのは、異性の好感度を上げるためにあると思っている人も少なくないと思います(特に男性は)。実は結構深い「人としてのありさま」を、端的かつ総合的に判断するための要素のように思います。

昔、地下鉄に乗ったときに、隣の席に座っていたビジネスマンの袖口が目に入ったんですね。袖口が、長年着用していたことを示すかのように擦れて傷んでいました。それが気になって仕方ありませんでした。やがて謎が解ける瞬間が来ました。ジャケットの裏側がほのかに見えたんです。誰もが知っている、ある海外の高級ブランド名がキラキラッと光っていました。

「そうか、このスーツを着ていることが誇りなんだ。誇りがほころんだんだ」なんてダジャレを思って、あとにしました。つまり、その方は大枚をはたいて購入したスーツに着られて「清潔感」すら忘れてしまったわけです。

わたしは「ケガをした人にとっさに差し出せるぐらい清潔なものでなければ、自分に不相当なものを身につけている」という判断基準があります。そういう意味では、いつでも(灰燼に帰しても)、何があっても構わないというものしか身につけないようにしています。

なぜ清潔感が「総合的に人のありさまを判断する」かといえば、清潔感はそう簡単に手に入らないからです。まず健康であって、血色もよく、爪もこまめに切って、毎日風呂に入り、時にはハンドクリームも塗って、睡眠も毎日8時間程度とるようにする。もちろん下着は毎日変えるし、ハンカチも毎日変える、といったことが必要だからです。

「清潔感=信頼感」だと思っているので、それをする価値はあります。高価なものを身につける必要もありません。

当たり前ですが、清潔感は内側からです。しかし、それを封じない程度には見た目も整える必要があります。そうでないともったいないんです。