かつては一家の長男が後継ぎになるのが一般的でした。しかし、時代とともに親孝行、働き方の価値観は確実に変わってきています。本記事では川村隆枝氏の著書『亡くなった人が教えてくれること 残された人は、いかにして生きるべきか』より一部抜粋・再編集し、現代の後継ぎ問題の考え方について解説します。
上京した長女、医学部生時代の愛する人をあきらめ決別。「実家の開業医」を継いだが…十数年後の“呆気ない結末”に「やるせません」
時代が変わって、悩みが消えた
我が身を振り返ると、一人娘で両親も周囲の人も当然私が診療所を継ぐものだと思っていたのに、恋愛を優先し愛する人に嫁いだ自分を彼女と比較して、当時は罪悪感で悩みました。幸せな人生であったけれど少なからずその罪悪感にさいなまれていた自分でしたが、この話を聞いて、「そうだ、時代は変わって、もうそんな悩みは必要ないんだ」と思わず心が軽くなりました。周りを見れば息子や娘がいても家督を継ぐ人々は限られています。
実際に私が仙台医療センターの部長時代、研修医たちに親の後を継いで開業するか、大学または地域の臨床病院に勤務するか希望を聞いたところ、驚いたことに開業医の息子(娘)は病院勤務、一般家庭の息子(娘)は開業希望でした。
その理由を聞くと、開業医の息子(娘)は、「開業は昼夜を問わず働きづめで、自分一人のため休暇も思うように取れず、体を壊しそうだから」。確かに! 両親の後ろ姿を見てそう感じているんだなと思いました。
一方、開業医希望は、「勤務医よりお金が儲かりそうだから」。なるほど、開業すると経済的に豊かになると勘違いをしているようです。相当な収入はあるけれど、相応の支出もあり身を粉にして働かなければならないことを忘れていますね(実際は、開業医はお金持ちに見えても自転車操業のことが多い)。
というわけで、なかには「帰って後を継ぐようにいわれているので○○科医になります」という殊勝な研修医もいますが、ほとんどは、自分本位で決めていました。親たちも子供の自主性を重んじているのが感じられました。なかには医師の父親の背中を見て育ち、尊敬する父のようになり後継者になるべく何浪してでも医学部に入ると努力している息子がいるのも知っています。
いずれにしても今では、子供の自主性を尊重して親は見守るというのが、双方の幸せに繋がると思います。最近は学歴社会というよりは、なにか確かな技術をもっていたほうが、強い時代になりました。現に、高校を卒業してすぐにスポーツ界に入り自分の能力を発揮して功を成し、親孝行をしている若者たちもいます。それを許した親も立派だと思いました。