やるとなったらとことんやる。すると、いずれわが身を助ける

私が幼いころは、小学校卒業後の進路は、進学するか、就職するか、家事手伝いをするかの〝ほぼ3択〞でした。進学先は男子なら中学校、女子なら女学校です。義務教育ではないので、進学する人は限られていました。


私が通った小学校の同学年に女子は64人いましたが、そのうち女学校に進学したのは10人ほど。16%くらいの割合ですから、今から比べるとずいぶんと少なかったですね。家庭にある程度、お金の余裕があったり、親の考え方に先進的なところがあったりしなければ、女子の進学は難しい時代だったのです。


私の家は取り立てて裕福だったわけではありませんが、教育に理解があったこと、それに私自身が勉強好きだったことから、進学させてもらうことができました。進学組には放課後、受験対策として「特別授業」の時間が設けられていました。ちなみに、その授業を受けるのは、男女混合で20人くらいでした。

まさに「芸は身を助く」

無事に女学校へ進学でき、勉強は楽しかったです。10代といえば、記憶力は人生の中でもピークですから、面白いように何でもすぐに覚えられました。覚えるといえば、女学校に入学してまもなく、「お琴」を習うようにもなりました。


ある日、母が出し抜けに「あんた、お琴やりなさいよ」と言い出したのです。母自身、お琴を習うことに強い憧れを抱いていたものの、習う機会を得られなかったことを残念に思っていたようです。


自分で言うのもおかしな話ですが、私はわりとのみ込みが早く、手先が器用でもあったので、「この娘に私の夢を託そう」とでも思ったのでしょう。私になんの断りもなく、さっさとお琴の先生を見つけ、入門のお願いまでしてきていたのですから、私としては母に従うしかありませんでした。


でも、結果的には母にとても感謝しています。のちに結婚した私は、夫がお坊ちゃま育ちでお金に無頓着だったため、いささか経済的に苦労する羽目になるのですが、そのときに役に立ったのが若いころに身につけたお琴だったからです。


やるとなったらとことんやる私は、師範のお免状を取れるまでお琴を続けたおかげで、近所の娘さんたちに教えて月謝をいただくことができて、経済的にとても助かりました。まさに「芸は身を助く」です。

自分の成長に欠かせない2つのこと

また、地元の放送局の開局記念日の式典に呼ばれて、お琴を披露したこともあります。自分でやりたくて始めたことではありませんでしたが、一生懸命にお稽古したおかげで、得難い芸事が身についたのはありがたいことでした。


何か1つのことを徹底してやれば、自分の人生にとってプラスになるということも、この経験からよくわかりました。芸事もそうですが、仕事に関しても同じことがいえます。「一生懸命」と「積み重ね」――この2つがそろえば、怖いものなしです。それを知ることができたのは、45歳と早くに亡くなった母からの大きな贈り物だったと思っています。

堀野智子
ビューティーアドバイザー