一生楽しく働きたいですよね。最高齢のビューティーアドバイザーとしてギネス世界記録認定された堀野智子氏は、著書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』の中でそのための知恵を伝授しています。それは一体どんなものでしょうか? 本書から詳しく紹介します。
思い立ったが吉日。後回しにせずその場で即決する
みなさんは、自分がやりたい仕事をしていますか? 私は101歳になる今もやっています。それは、60年以上前から愛用していたポーラ化粧品のセールスの仕事です。今でも新製品の研修や勉強会に参加することは欠かしません。そんなときは、自宅から7キロ離れたポーラの営業所まで、バスを乗り継いで行きます。
初めてポーラの化粧品を手にしたときから、「こんな素敵なものをたくさんの人に知ってもらう仕事をしてみたい」と思っていたんです。とはいえ、そのころは、まだ3番目の子どもが小学生。今のように学童保育が充実している時代でもなく、子を持つ女性が働く環境は整っていませんでした。
「しばらく、働くのは難しいだろうな」と思ってはいましたが、完全にあきらめたわけではありません。だから、その数年後、外出したときにばったり会った友人のご主人が、「ポーラ化粧品の営業所を始めた」と聞いたとき、「ようやくチャンスが舞い込んできた!」と運命的なものを感じたんです。
制約があってもやりたい仕事に挑む
「私、その仕事、前からやりたいと思ってたの。私にもやらせて!」と即断即決、その場でお願いしたんです。「じゃあ、今から一緒に営業所へ行ってみる?」と、その友人に誘われるまま、営業所へと向かい、そのままショップオーナーのご主人の話を聞きました。
その帰りにはポーラ化粧品のブランドロゴ入りのカバンに基礎化粧品をぎっしり詰めて、販売するための伝票もたくさんもらってきました。ずっとやりたかった仕事なので、うれしくてたまらず、カバンの重さなどまったく気になりませんでした。
その夜、仕事から帰宅した主人に「私、これからポーラ化粧品のセールスをやることにしたのよ」と宣言したんです。すると主人には、「別にやるのはかまわないけど、俺の知り合いのところには行くなよ」とくぎを刺されました。
主人は大正生まれの〝昔人間〞ですが、妻である私が働くことに関して「体裁が悪い」とか「仕事なんかするな」と言わなかったことは、よかったように思います。主人は比較的裕福な家庭に生まれたこともあり、気前よく部下におごってしまう人でした。のちほど詳しくお話ししますが、比較的高収入であったにもかかわらず、家庭に満足に生活費を入れなかったので、私が働くしかない生活を送ってきたのです。だから、「働くな」などと言えた義理ではなかったというのもあるでしょうね。
仕事をすることで凛とした自分になる
私が絶えず仕事をして生活費を補塡すれば、その分、お小遣いが潤沢に使えるというメリットも、主人にはあったでしょう。それを差し引いたとしても、大正生まれの男性にしては、妻が外に出て働くことに関して比較的寛容だったことについては、ありがたかったと思っています。
主人は甘やかされたボンボン育ちで、困った点もありましたが、「あの年代の男性にしては」というただし書きつきではあるものの、鷹揚な部分があったのは、愛されて育った人ならではの美点だったのかもしれません。また、主人は背が高く、今の言葉で言えば「シュッとしている」というタイプでしょうか。顔立ちもそこそこの、見た目のいい人でした。
おそらく自分の容姿にはそれなりの自信があり、「格好よくしていたい」という気持ちもあったのだと思います。そのうえ、仕事のお付き合いで華やかな女性のいる場所に出入りする機会もあったみたいです。だからでしょうか、私にも「きちんとしていなさい」とか「きれいにしているように」などとよく言っていました。
まだ私がポーラ化粧品を使っていなかったころ、呆れたようにこう言われたことがあります。「あのね、女性には身だしなみっていうものがあるんだよ。わかってるか?」。なりふりかまわず、お肌のお手入れさえしない私に興ざめしたのでしょう。私がポーラの化粧品を使ってせっせとお手入れをするようになったのは、主人にそう言われたことが影響しているんです。