他人と比べるのではなく自分をライバルにして成長

私は1923(大正12)年4月9日生まれですが、同じ学年の中ではたいていいちばん早い生まれでした。小学校に上がって、すぐに7歳になる「4月生まれ」と、ようやく6歳になったばかりの「3月生まれ」では、同じ学年とはいえ、幼いころは大きな差がありますよね。


4月生まれのうえ、長子・長女だった私は、やはり他の子よりはマセていたのだと思います。大正生まれの私の幼少期は、子どもの数も多いし、母親にとって家事は今とは比べものにならないくらい大きな負担でした。


だから、きょうだいの中でいちばん年長の私が、母親に近い立場にならざるを得なかったのです。そんな家庭環境も手伝って、自分で言うのもおかしな話ですが、私はけっこうしっかりした子だったと思います。

新しいことに一歩踏み出す勇気

そして、新しいことを覚えるのが大好きな子でもありました。新しいことを知りたい、覚えたい気持ちがすごく強かったのです。だから、学校の勉強が大好きでしたね。


だって、自分の知らないさまざまなことを覚えられるでしょう。学校から家に帰ったら家事が待っているので、自宅で勉強することはほとんどありませんでした。というよりも、必要なかったのかもしれません。


授業を聞いているのが、すごく楽しかったから、そこで覚えちゃうんです。楽しい話って頭に残りやすい。そんな感覚でした。成績は「甲」「乙」「丙」の3段階の時代です。いちばんできるのが甲、普通が乙、もっと頑張れというのが丙ですね。


私はほとんど甲で、2つだけ乙がありました。それは「体操」と「唱歌」です。体操というのは、今でいう体育。かけっこ(徒競走)をすることが多かったのですが、私は足が速いほうではなかったんです。遅くもないけれど、速くもない。運動会は、嫌いでした。

人と比べず自分に挑む

音楽も今のように1人に1つ楽器が与えられるという時代ではなかったので、授業ではほとんど「唱歌」を歌っていました。歌も下手ではないけど、うまいというわけでもなかったのでしょう。だから乙。ちょっと悔しかったです。


綴り方(作文)やお裁縫の「運針」などは得意中の得意で、提出するのはクラスの中で私がいちばん先でしたし、「上手にできている」と褒められてもいました。あまり意識はしていませんでしたが、なんとなく「自分はいろんなことでいちばんが取れて当たり前」と思っていたのかもしれません。


おそらく、負けず嫌いなのでしょう。ただ、誰かと自分を比べて「◯◯さんに負けたくない」というのではなく、「自分ができないのが悔しい」とあくまで自分をライバルにしていたように思います。

「自分比」で考えればストレスが減る

この「ライバル視するのは自分だけ」というのは、終生変わらない私の根幹にある考え方です。職場のように容易に人の仕事の成果がわかる場所にいると、つい人と自分を比べがちですよね。それでストレスをため込んだりして……。


でももしかしたら、それ以前にものごとを「自分比」で考えてみることで、「他人との比べっこ」をやめることができるかもしれません。尺度はあくまでも「自分」にするのです。


昨日の自分よりも今日の自分は成長しているか、成長できていないと感じるのならばそれはなぜなのか?そんなふうに考えるようにすると、他人に向けがちだった目が自分に向き、むやみに人のことが気になることもなくなっていくように思います。