一生楽しく働きたいですよね。最高齢のビューティーアドバイザーとしてギネス世界記録認定された堀野智子氏は、著書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』の中でそのための知恵を伝授しています。それは一体どんなものでしょうか? 本書から詳しく紹介します。
あり余る体力と気力から本業以外でも自分の〝腕試し〟
電話局の仕事は、「早番」と「遅番」の2交代制でした。遅番の日は、夕方4時半から翌朝8時までの勤務です。夜勤ですが、交代で眠ることができましたし、夜中は日中ほど電話交換の件数が多くないので、つらいと思ったことはありません。
むしろ朝8時半には仕事が終わり、そのあとは自由に時間が使えるのでありがたかったくらいです。何も遊びに行けるから、ありがたかったのではありません。母親が病弱だったので、家の仕事には、私の手が必要だったからです。
下の妹は、まだ幼かったので、その世話もしなければなりませんでした。とりわけ、私にとってこの勤務形態がありがたかったのは、空いた時間で仕立て物の内職ができることでした。私は子どものころから手仕事が大好きなんです。お裁縫であれ、編み物であれ、得意だという自覚がありました。
まだ20歳かそこらで、体力も気力もあり余っていたので、自分の腕試しもかねて「どれくらいやれるかやってみたい」と思っていたのです。それに内職で得た副収入なら、心おきなく自分で使えるという思いもありました。
給料は全額実家に入れる
電話局で仕事をしているとき、私は家を空けることになります。その間、すでに健康を損なっていた母親に、家の仕事を任せなければなりません。当時は家事において、長女の果たす役割は大きかったので、それを病弱な母に任せきりになることで、「私は十分なことができていない」「母に申し訳ない」と思っていたのです。
そこで、せめてお金のことでは不自由させたくないと思い、電話局でもらうお給料全額を家に入れるようにしていました。
時代背景として、「長子は家族を養うために働くもの」という価値観が強く残っていました。長男・長女は家の犠牲になるのが当たり前という時代だったんです。もっとも私には「家族の犠牲になっている」という思いは、これっぽっちもありませんでした。
父がまだ郵便局で働いていたこともあり、母は私に「そんなにお金に困っているわけじゃないから、給料を全部入れてくれなくてもいいよ。まず自分のお小遣いを抜いて、その残りを家に入れてくれれば十分だから」と言ってくれてはいました。でも、それでは私の気がすまなかったんです。