今の時代、「他人のことは考えず自分が得をすることばかり追い求める」という風潮が見え隠れしています。しかし江戸の昔はそんなことはなかったようで……。本記事では、落語家・立川流真打ちの立川談慶氏による著書『落語を知ったら、悩みが消えた』(三笠書房)から一部抜粋し、落語の一席とともに「お金に対する執着心」について考えてみましょう。
江戸時代は「損のシェア」が“粋”だった?落語『三方一両損』から読み解く、令和の「今だけ、金だけ、自分だけ」という価値観との違い【立川談慶が解説】
お金に執着しすぎると、いつか疲れてしまうよ
左官の金太郎は、三両の金が入った財布を拾う。財布と一緒にあった書付を見て、持ち主の大工の吉五郎に返しにいくが、江戸っ子を標榜する吉五郎は「もはや俺の懐から飛び出した金なんざ受け取らない」と言い張る。
しかし、金太郎もまた江戸っ子であり、俺がもらえるわけはない、どうしても吉五郎に返す、と言って聞かない。互いに大金を押しつけ合う展開となり、ついに奉行所に持ち込まれ、名高い大岡越前(大岡忠相)が裁くこととなった。
双方の言い分を聞いた越前は、どちらの言い分にも一理あると認める。その上で、越前自らの一両を加えて四両とし、二両ずつ金太郎と吉五郎に分け与える裁定を下す。金太郎は拾った三両もらえるところ二両しかもらえず一両損、吉五郎は三両落としたのに二両しかもらえず一両損、そして大岡越前は裁定のため自腹で一両失ったので、三方一両損として双方を納得させた。
そして場が収まったところで、越前の計らいでお膳が出てくる。普段は食べられないご馳走に舌鼓を打つ二人を見て、越前は「いかに空腹だといっても、大食いは身体に悪いぞ」と注意する。すると、二人はそれぞれ答えた。
「多かあ(大岡)食わねえ」
「たった一膳(越前)」
損をシェアするメンタリティ
江戸っ子らしい粋がりが、なんとも痛快となっている見事な一席です。実際の世の中の金にまつわる争いごとが、そんなにすっきり解決しないからこその爽快感なのかもしれませんね。
さて、この落語は「お金の損と得とは表裏一体だよ」という経済の本質を、江戸っ子のかっこよさとともに訴えているのではないでしょうか。
ついつい現代人は「いつも得していたい」と考えがちですが、世の中は損も得も分け合ってできているとわきまえると、世知辛いこの令和でも、お金への執着心をうまく手放すことができるのではと確信しています。
たとえばこの噺、三両入った財布を拾った金太郎が使い込んでしまったらどうなっていたでしょう。貧乏人にとって三両は、今の通貨価値で30万以上ぐらいの大金のはずで、狭い長屋ではすぐに噂になるはずです。口さがない江戸っ子たちは、末代にわたって金太郎の行為を咎めるはずでしょうし、そうなることを無論理解しているからこそ、金太郎は見栄を張っていたのかもしれません。