江戸時代において「マイナスのシェア」が果たした役割とは

さらに、使い切ってしまったら、そもそも吉五郎との縁も芽生えません。やせ我慢した結果、一緒にご飯を食べる仲になったのです。金太郎と吉五郎は、きっと単純な者同士、肝胆相照らす仲になったものと確信します。

つまりこの噺には、カーシェアやシェアハウスに代表されるような、昨今の主流になりつつある「シェア感覚の萌芽」があったのではとも思えてきます。

ここで大切なのは、プラスの儲けではなく、マイナスをシェアしている点です。プラス面のシェアは比較的簡単なものですが、マイナス面は分け合いにくいものです。

しかし、不労所得を拒否するようなポリシーを是とする、かのような江戸時代の了見が、もしかしたら江戸という狭くて窮屈でストレスフルなコミュニティにおいては、あらゆる面でのブレーキになっていたのかもしれません。

そして、それらを遵守する江戸っ子らしい「粋がりメンタリティ」が、先祖代々で涵養されつづけてきたからこそ、300年近くにわたって我が国では平和が保たれてきたのではないでしょうか。

つまり、この壮大なる歴史的実験から導き出される結論が、いくぶん大げさな見方をして「損を分け合うことこそが、あらゆる紛争を未然に防ぐのだ」ということだとしたら、ますます落語が持つ意味合いが重くなってくるような予感がします。

どうして出世したいのか?

さらにこの噺には、金太郎が「出世するなんて災難に遭いたくねえ」と発言する場面がありますが、よく考えてみたらこれもすごいセリフです。

金太郎のように「得をすることは災い」と言い切る感覚と、損をシェアすることはコインのまさに表と裏であります。

これぞまさに「自分が儲けたとしたら、その裏ではきっと損して泣いている奴がいるかも」という複眼的視野を示す姿勢そのもので、これは令和の時代の「今だけ、金だけ、自分だけ」という多くの人が持っている価値観とは、明らかに一線を画しています。

ここまで述べてきて、落語の温かい目線は、ご先祖さまからのメッセージだと気づきました。我々のご先祖さまたちはこの落語の価値観を良しとしてきたはずで、だからこそ、この落語が現代にも伝わってきているのでしょう。

落語を聞き、そしてたしなみ、今の時代の考え方の偏狭さを悟ることは、換言するならば「バーチャルお墓参り」みたいなものでしょうか。

『三方一両損』を聞いて、お金に対する執着心をご先祖さまに慰めてもらいましょうよ。きっとあなたの心に、余白を作ってくれるはずですよ。

立川 談慶
落語家・立川流真打ち