2005年以降、増加傾向にある非正規雇用者。日本では現在、雇用者の約4割が非正規雇用であるといいます。なかには、震災などの影響でやむを得ずに非正規雇用の道を選ばざるを得なくなった人もいるようです。ルポライター増田明利氏の著書『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)より、派遣社員から契約社員に“出世した”と語る、35歳男性のインタビューをみていきましょう。
惨めなものですね…最近の大きな出費は1万3,000円の寝具。月収24万円の35歳契約社員が「こんなことはやっちゃ駄目」と語る〈派遣工〉の実態【ノンフィクション】
工場勤務の7年目主任、婚約もしていたが…全てを失った35歳男性
〈登場人物〉
平河直樹(35歳)
出身地:茨城県北茨城市/現住所:千葉県習志野市/最終学歴:高校卒
職業:警備員/雇用形態:契約社員/収入:見込み月収で約24万円
住居形態:会社の寮/家賃:不明
家族構成:独身/支持政党:立憲民主党
最近の大きな出費:寝具購入(約1万3,000円)
寮付きの仕事を始めたのは震災直後の11年7月から。自前で住居を確保し、少しは安定的に働きたいと願っていたが、寮付き派遣をあちこち回るだけ。丸10年経った今回もありつけたのはやはり寮付きの仕事だ。
「川崎から津田沼への引っ越しなんですが家財道具はなにもありません。荷物はリュックサックとスーツケース1個だけ。本当に体ひとつだから簡単なものです」
新しい仕事は警備員。警備会社の契約社員として採用され、千葉県内の大型商業施設で交通誘導と駐車場警備を担当することになった。
「前もその前もずっと製造業派遣でした。今度は契約社員だけど直接雇用、少しは出世したんですかね」
明後日から3日間は新任法定研修。無事に修了すれば正式な雇用契約を交わすことになる。
「10年前は今よりはるかにまともな暮らしをしていたんですがね……。落ちぶれたというか惨めなものですね。25歳の青年から35歳の中年オヤジになってしまった、嫌ですねえ」
震災が起きたときは茨城県北部にある木材加工・家具製造会社の正社員として働いていた。工場の作業職だが高校新卒で入社し勤続7年。名前だけだが主任の肩書も付き、私生活では高校の後輩になる女性との結婚も考え始めていた。それが震災ですべて水の泡になってしまった。
「会社は福島との県境近くにありまして、あの地震で本社も工場も全壊に近い惨状でした。津波の影響はなかったのですが再建は困難、自主廃業するということになった。これで失業しました」
再就職しようにも地元で採用してくれる会社がない。ハローワークに行ってもアルバイトや期間限定の仕事ばかりで時給は800円程度。とてもやる気にはならない。
「農協の臨時雇い、ガソリンスタンドのサービスマンなどに応募してみたけど面接も受けられなかった」