「老人には時間がない、だからこそ残りの人生は好きな服を着て自由に生きたい」…年を取るほど、この言葉に共感する人は多くなるのではないでしょうか。着たい服を着て自由でいることが心を広く開放させ、生活を豊かに前向きにさせてくれる。そんな考え方もできるでしょう。本記事では、「ようやく妻が死んでくれた」の動画が857万回再生を超える〈ぺこりーの〉氏の著書『妻より長生きしてしまいまして。』(大和書房)より一部を抜粋・再編集して、シニア男性に参考にしてほしいというファッションに対する考え方をご紹介します。
“普通で常識的”を脱却して自分らしく自由に!〈現役シニア男性〉が「老後こそ好きなファッションで生きる」と宣言するワケ
「サラリーマンだからスーツを着る」が、この世でもっとも嫌い
この言葉を知っている人は、私と同年代で関西フォークにハマった人だろう。元ジャックスの早川義夫のアルバムのタイトルが、この言葉だった。
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」
当時、私は高校生だっただろうか。今はすっかり親父となった私だが、実は中学の頃からファッションが大好きだった。男性ファッション誌の『MENʼSCLUB』(ハースト婦人画報社)の「街のアイビーリーガース」というコーナーで、私が歩いている姿が掲載されたこともある。
当時は、アイビーやトラッドファッションの全盛時代。それで私もアイビー小僧だったのだ。もちろん服なんて買ってもらえないので、アルバイトの給料はほとんどレコード代と服代に消えていた。
そんなファッション大好き高校生が、この早川義夫のジャケットタイトルを見た時に、いったい何を言いたいのかさっぱりわからなかった。いや、実は今でも何を言いたいのかはよくわからないのだが、それでもこの言葉の強烈なインパクトには衝撃を受けた。だってかっこよくなりたいからおしゃれをしているわけで、それがかっこ悪いと言われれば自分は何をやってるんだとなってしまう。
この言葉が主観的な言葉なのか、あるいは客観的な言葉なのかでも、ずいぶん意味は変わってくる。私が勝手に解釈しているこの言葉の意味は、かっこよく見せたいという下心が透けて見えてしまうファッションはかっこ悪いなということ。
要するにかっこよさとは、主観的な勘違いではなく、客観的に周りからかっこいいと思ってもらえるようなファッションが、おそらくかっこいいということなのだろうという結論だ。
親父のファッション哲学は、10代の時に知ったこの言葉に集約される。この言葉を知ってから、私はあまりかっこよくありたいと思わなくなった。
ではどうするか。「私らしく自由でいよう!」若い頃から親父になってしまった今に至るまで、そのスタイルは変わらない。好きな服を年代やTPOなど無視して着る。着たい服を着て自由でいることが、一番心が開放される気持ちになる。
ところが、サラリーマン人生において、この親父のファッション哲学は風当たりが強かった。むしろ、ずっと向かい風の中を歩いてきたと言っていい。
日本人の社会には、普通で常識的であることがよしとされる空気が流れている。その代表的な場所が、会社組織という場だ。「役員会に、海に行くようなかっこうで来るのはやめてください」と、何度総務部長から注意されたかわからない。しかし、私は意思を貫いた。
サラリーマンだからスーツを着るというのが、この世でもっとも嫌いなことだ。普段、Tシャツとジャージで過ごしている私からすれば、スーツは正装である。会社に正装で行くというのは、おかしくないか? 正装とは、結婚式とか何か「式」と名がつくような行事の時にするものだ。会社の仕事は毎日が行事なのか?
私が屁理屈をこねると総務部長は、「やれやれ」と困った子どもを見るような顔で私を見る。今ではどの会社もかなり自由になったと思うが、昔は世のサラリーマンはみな、制服のようにスーツを着て仕事をしていたものだ。だから、親父はファッションセンスがないと言われることになる。