幼い頃に難聴を患った演出家が辿り着いた、コミュニケーションの真髄

劇団や演出家の人が主催する一般向けのワークショップ(体験型の講座)も、他者との間の取り方や身体感覚について考えるのに、とても有意義です。

演出家の竹内敏晴さんによる「竹内レッスン」は、間の取り方やコミュニケーションの仕方について、気づきが得られる体験でした。

竹内さんは幼い時に難聴を患い、それが原因で言葉がなかなか習得できず、他者とのコミュニケーションに苦しみ、さまざまに模索する中で、言葉は体と切り離せず、体を含めてコミュニケーションを考えるべきだと気づきます。そして徐々に、他者とコミュニケーションする言葉と体を獲得していきます。

そうした自身の経験から独特なレッスンを考案した経緯が、著書『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)に書かれています。

「劈く」という言葉は通常、「さく」とか「つんざく」と読みますが、竹内さんは「開く」でも「拓く」でもなく、「劈く」と書いて「ひらく」と読ませています。言葉が体の内側から湧き起こり、自分の殻をつんざくようにして相手に届くようになり、自分の心や体が他者に開かれるようになってきた竹内さんの体験から、そのような言葉の使い方をしているのです。

よいコミュニケーションを取るには「無意識」が重要

著書の中に「からだとの出会い」という章があり、竹内レッスンに大きな影響を与えた野口三千三さん(野口整体の野口晴哉さんとは、また別の野口さんです)の「野口体操」についての記述があり、竹内レッスンの基本をなす考え方について述べられています。

野口体操では、自分を流動体として感じ、体の外も内もともに動きながら、動きが変わると意識も変わる、と考えます。『原初生命体としての人間―野口体操の理論』(岩波現代文庫)に、野口体操の本質が書かれています。体も心も丸ごと一つという考え方です。頭が体をコントロールするという考え方とは異なるものです。

この「流動体としての私」が、竹内さんの体についての考え方の基本です。竹内さんは、無意識を重要視します。無意識は、意識と体を結びつけるもの。心と体を分けて考えるのではなく、無意識が動き始めるのを待つというのです。

他者とのコミュニケーションも、単に頭だけで働きかけようとしてもダメで、体の内側、つまり無意識のレベルから、その人に働きかけたいという欲求が生じ、声を発した時に、よいコミュニケーションが取れるのです。意識でコントロールせず、まず体の内なる変化を感じる。そして、空っぽな体として相手に向かえ、といいます。

齋藤 孝

明治大学文学部教授