絵の具の「肌色」が意味すること

日本では肌の色や人種差別についてどんな授業をしているのか。

たとえば、こんな授業を見たことがある。世界にはいろいろな肌の色の人がいるため、日本では20年前に絵の具や色鉛筆の「肌色」が消えたことを取り上げていた。肌色を一色で表すのは差別であるため「肌色」をなくすことはよいことだと学ぶ。

子どもたちは自分のシートに「色に基づいた差別はよくない」「外国人は日本人と肌色が違うことを理解した」などと感想を書いている。確かに子どもたちは、色に基づいて差別するのはよくないことを理解したと思われる。ただ、この授業で一番問題だと感じたことがある。それは肌の色の違いがどこから来たかに触れていないこと。

フランスの学校ではまったく違うアプローチをする。まず肌の色の違いの科学的説明から始める。フランス人、外国人にかかわらず、すべての人の肌の色には違いがある。それはメラニンという物質の量によって変わる。紫外線と深くかかわるため、熱帯地域に住む人たちの肌は黒い傾向にあり、寒冷地に住む人たちの肌は白い傾向にある。もともとアフリカに住んでいた人たちは、年間の日照時間が長いことから、その環境に合わせて肌の色も黒くなった。

こうした説明をしたうえで、人間は肌の色の違いによって能力に違いがあるというのは科学的根拠がない話だと伝える。当然だが、DNAの優劣はなく、よって肌色に基づいて差別するのは完全な間違いで、許されないことだと伝える。

単純に「差別はよくない」ではなく、「なぜ差別は根拠がなく、よくないことなのか」を科学的エビデンスも含めて説明するのだ。こうした説明がないままに、子どもたちに「なぜ肌の色による差別はよくないんですか?」と聞いても、おそらく答えられないだろう。

「傷つくから」といった感情的な答えになるかもしれない。「差別はよくない」と学べば、差別しない子になるかもしれないが、「なぜよくないのか」はわからないままだ。となれば、ネットに蔓延する「陰謀論」を唱える人たちが寄って来て、「いやいや、黒人は〇〇なんだ」と言ったら、受け入れてしまう可能性もある。

肌の色の違いによって集団的な特徴があるわけではないのにもかかわらず、「黒人はあなたより能力が低いから平等ではない。あなたのほうが優遇される」とSNSでくり返し聞かされたら、信じてしまう。そのリスクをなくすためにも科学的な説明が必要だとわたしは考えている。

西村カリン
ジャーナリスト