「人生のピークは18歳。東大に合格したとき」という、しんめいP。32歳で無職になり、離婚して、実家のふとんに一生入ってると思われた彼が自身の“虚無感”をなんとかしようとしてたどり着いたのが「東洋哲学」でした。そんなしんめいPによる著書『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版/監修・鎌田 東二)から、東洋哲学の哲学者を紹介します。第1回目は、「実家が太くて」「超ハイスペのひきこもり」だったブッダです。
超ハイスペックなひきこもり
ブッダは、とんでもなく恵まれていた。仮に、古代インドにマッチングアプリがあったとしよう。もし、ブッダが登録すれば、あまりに「ハイスペック」すぎて、婚活市場のバランスは完全崩壊し、サービスは終了においこまれるだろう。
まず実家が太い。
実家、王家。職業、王子。年収は、おおすぎて測定不能。頭脳も、のちに人類史にきざまれるレベル。しかも、たぶんめっちゃイケメンだった。修行中、地元のギャルに突如おかゆをもらったりしたので。
でかい城にすんで、ほしいものは全部手に入る。豪華なご飯を毎日たべて、ハーレムまであった。(実家にハーレムあるのいやすぎる)家族にもめちゃめちゃ愛されてた。「王子」って、超やりがいありそうな仕事やん。
しかし!
こんな恵まれた環境なのに、ブッダはバキバキに「虚無感」に苦しんで生きていた。たぶん、ずっとふとんに入ってたと思う。王子といいつつ、じっさいは「無職のニート」だったのだ。王家にうまれて、虚無感でふとんに入っていたブッダ。
庶民のくせに、「自分、めぐまれてるしな……」と虚無感をもつことすら申し訳なくおもってた自分が、最高にバカらしくなる。どんなに恵まれてても、虚無感はかんじるものらしい。それを、若いときのブッダが証明してくれてて救われる。
ブッダ、自分探しの旅にでる
無職、哲学的になりがち。ぼうだいに時間があるから。暇な時って、「なんのために生きてるんだろう?」とか考えこんでしまったりしません? するよね?
ぼくもふとんの中で一日中、「ブラックホール同士が衝突すると何がおきる!?」みたいな動画をみて、宇宙に思いをはせていた。ブッダも、だいたいそんな感じだった。
「この人生なんの意味があるんだ?」
「本当の自分ってなんなんだろう?」
しかし、並の無職とは、スケールが違う。
本気で考えすぎて、ある日、家出して、そのまま一生外にいた。「出家」である。バレるとやばいので、夜にひっそりでていったらしい。ブッダも、「自分探し」の旅にでたのだ。ぼくらのより、だいぶガチのやつだけど。
「出家」ってつまり、「ホームレス」になること。
森とかでねる生活。治安悪いし、トラとかいる。
ブッダ、29歳。アラサー。王子からホームレスに。理由、自分さがし。大企業からベンチャーに転職する、みたいなレベルじゃねぇ。しかも、このとき、妻と、うまれたばかりの子供がいた。出家とは、家族の縁をきることである。王様やってる父ちゃんも、急に後継者がいなくなってパニックである。