「人生のピークは18歳。東大に合格したとき」という、しんめいP。32歳で無職になり、離婚して、実家のふとんに一生入ってると思われた彼が自身の“虚無感”をなんとかしようとしてたどり着いたのが「東洋哲学」でした。そんなしんめいPによる著書『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)から、東洋哲学の哲学者を紹介します。第4回目は、老荘思想に登場する「道(タオ)」を活用した「転職」を成功させるコツについての考察です。
「道(タオ)」からまなぶ転職術
「婚活」とならぶ、現代社会の2大市場。「転職」市場。この本を読んでいるひとも、転職を考えている人がおおいはずだ。(と思っている)よい転職ができる方法も、「道(タオ)」の哲学から学ぶことができる。
さて、現代日本で、転職をはばむシチュエーションをあげてみよう。
「外で通用しないぞ!」
胸糞わるいな〜。
転職したいといっても、「外で通用しない」とか、いわれるあれ。いまだにけっこうあるみたい。
しかし、転職の世界にもいるはずである。すごいスキルがあるわけでもない。わかりやすい資格も特にない。
でもなんか「感じ」がいい。
「めっちゃフツーなのに、なぜかうまくいく人」。
そして、パッと会社をやめて、いつのまにか給料も環境もいいところで働いている。
あいつら、なんなんだ!?
もう答えはわかるはずだ。
やつらは、「道(タオ)」とつながっているのだ。
タオイストなのだ。
タオイストの最大の強み、それは、「死」が存在しないことである。
「堅強なる者は、死の徒なり。柔弱なる者は、生の徒なり。」
老子 「道徳経」 76章
――堅くてこわばったものは、「死」の仲間である。
柔らかく弱いものは、「生」の仲間である。
どういうことか。
「外で通用しない」というおどしがきくのは、「会社をやめたら死ぬ」という思いがあるからだ。
この場合の「死ぬ」とは、社会からの孤立。
「社会的な死」だ。
しかし、タオイストは、「会社」がフィクションであることを知っている。「社会的な死」も、「ゲームで1回死ぬ」くらいにしかおもっていないから、脅してもムダなのだ。仮に転職先がみつからなくても、生命のつながりを感じて生きてるから平気である。
そもそも、タオイストは「道(タオ)」とつながっている。
「外で通用しない」どころか、会社にいながら「外にいる」ようなものだ。
タオイストは、不死身なのだ。
不死身なひとは、強い。
べつに特別な仕事のスキルがなくても、最強である。
結果的に、仕事もうまくいくし、みんなからも好かれる。これが、「道(タオ)」のパワーを、「婚活」と「転職」にいかす方法だ。
(あくまでぼくの解釈です。)
さいごに、またひとつ老子の言葉を引用しよう。
「窪めるはすなわち盈つ。」
老子 「道徳経」 22章
――からっぽだからこそ満たされる。
からっぽだからこそ、「道(タオ)」とつながれるのだ。
老子は「ほぼ草」。
荘子は「無職」。
からっぽすぎる。
むしろ、からっぽを極めることによって、かれらは無限のパワーをつかっていたのだ。
すごいぜ、「道(タオ)」!