場の空気に合わせて発言のタイミングや内容を考えることは、コミュニケーションで重視されるポイントです。作家の阿川 佐和子氏は、空気の読めない「KY」だったを自身について語っています。阿川氏の著書『話す力 心をつかむ44のヒント』(文藝春秋)より、空気を読むこととコミュニケーション能力について、詳しくみていきましょう。
就活で求められる「コミュニケーション能力」
コミュニケーション能力って何?
一時期、場の空気を読まない人のことを「KY」と呼んでいました。そして「KY」という存在はまことに厄介で面倒な存在と疎うとんじられていた記憶があります。しかし同時に世の中では「コミュニケーション能力」というものを必要以上に重視するようになっていました。
劇作家の平田オリザさんにお会いしたとき、そんな話を伺いました。平田さんの著書『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)にも書かれていることですが、入社試験の面接で「君はコミュニケーション能力についてどう思いますか」とか「この会社に入ったらどんなコミュニケーション能力を発揮していこうと思っていますか」とか聞かれることが増え、そのために就職活動中の若者はこぞって「コミュニケーション能力」を身に着けようと事前に勉強しておくのだそうです。
そして若者はようやく厳しい関門をクリアし、無事に社員となり、コミュニケーション能力をさらに発揮して仕事に励もうと張り切ります。会議の席で、しっかり自分の意見を発信し、他の社員や上司の意見も耳にとどめ、円滑な関係を築こうと頑張ります。すると、会議が終わって部屋を出た途端、直属の上司にチクリと釘を刺されるのだそうです。
「君、上司が揃っている場で新入社員が余計なことを言うものじゃないよ。どうしてそこらへんの空気が読めないんだ?」
いや、だって、入社するときは、コミュニケーション能力を存分に発揮してくださいって、おっしゃっていたじゃないですか。若者は混乱します。いったいコミュニケーション能力とは何なんだ? できるだけ黙ってろという意味だったのか。
平田さんは、これが日本の現状であり、闇雲にコミュニケーション能力を磨けと求めたところで、現実社会においては見事な齟齬をきたしているとおっしゃっていました。なるほどねえ。積極的にしゃしゃり出る人間は、総じてKY呼ばわりされてしまうのか。だからなおさら日本人は、黙り込んでしまうのかもしれません。
たしかに「ここでそういうこと、言う?」と周囲の顰蹙を買う人はときどきいるでしょう。実際、その発言で深刻な問題が起こることも、ないわけではない。他人の気持を不用意に荒立てたり、その場の空気を壊したり。あるいは人を傷つける結果を招いたりすることさえあるかもしれません。でも、そういう失敗を怖れすぎていたら、本当に何も発言できなくなってしまいます。
重々お察しとは存じますが、そういう意味において私はKY族の一人かもしれません。なにしろ喋り過ぎる。思ったことをすぐ口に出してしまう。ここはしばらく黙っておこうという我慢に欠ける。そう、間違いなくKYです。