4月から放送が開始された連続テレビ小説「虎に翼」。その主人公のモデルとなった「三淵嘉子」の型破りな性格は、どのようにして育まれたのでしょうか。本記事では、青山誠氏による著書『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(KADOKAWA)から一部抜粋し、三淵嘉子が幼少期に身を置いていた教育環境と、彼女が目の当たりにしてきた「世のなかの変化」について、ご紹介します。
大正デモクラシーの熱気に包まれて…朝ドラでは描かれなかった寅子のモデル・三淵嘉子の子供時代と身をもって知った「世の中を変える」ための絶対条件
三淵嘉子が気づいた「世の中を変える」ための絶対条件
しかし、その熱気は10年余りで急速に冷めてしまう。大正12年(1923)に関東大震災(かんとうだいしんさい)が起きると、第一次世界大戦の戦後不況に見舞われていた日本の経済状況はさらなる痛手を被った。誰もが不景気を実感するようになり、もはや、民主主義だ、男女平等だと浮かれているわけにはいかなくなる。大多数の人々にとっては、そんなことよりも自分たちの生活が気にかかる。
震災発生当時、嘉子は小学校3年生だった。この年齢なら当時の状況を記憶していたはずだが、彼女がそれについて何かを語ったことはない。生活圏である山の手地域では、下町のような大火災は発生しておらず被害はほとんどなかった。それだけに後の戦災の時のような悲惨な光景を目にすることもなく、印象が薄かったのだろう。
だが、震災を契機に急変していった世の風潮は感じていたはずだ。集会やデモは減ってゆき、たまにデモを見かけても人々が訴えるのは生活のことばかり。街中で自由や民主主義という言葉が聞かれる頻度が減ってきた。
大正デモクラシーの盛りあがりと終焉(しゅうえん)をその目で見ている。そのことが、彼女のその後の生き様に影響を及ぼしたのかもしれない。世を変えるための凄(すさ)まじい熱量、それを長く保つのは難しい。しかし、熱を維持してやりつづけなければ、世を変えることはできないということを。
青山 誠
作家