女性裁判官採用の可能性

「戦後、出征していた夫が引揚途次に戦病死したので私は経済的自立を考えなければならなくなった。それまでのお嬢さん芸のような甘えた気持から真剣に生きるための職業を考えたとき、私は弁護士より裁判官になりたいと思った」

『追想のひと三淵嘉子』の中で本人が語っている。夫が亡くなった頃から、それについては考えていたようだ。

原告と被告の言い分をよく聞き証拠を調べたうえで、これを法に照らしあわせて公正中立な立場で判断を下す。それが裁判官の仕事だ。審理を進めるにあたっては司会者的な役割もある。学生時代からリーダーシップを発揮してクラスをまとめてきた嘉子には、その適性がありそうだ。

そのことについては法律家を目指した頃から、自分でも少し考えていたようである。が、当時の司法官試補採用の告示には「男子に限る」という文言があった。女性だからという理由で、自分に向いていそうな仕事に就けない。司法科試験の会場ではじめてその事実を知った時のことを思いだすと、いまも怒りが込みあげてくる。

しかし、時代は変わった。昭和21年(1946)11月3日に公布された日本国憲法は、民主国家としては当然のことである「男女平等」を保障している。新憲法施行後はそれにあわせた法整備が進み、女性の社会的地位は格段に高まってゆくだろう。女性への職業差別は撤廃され、いずれは女性の裁判官や検事も誕生するだろう。

その根拠も得ていた。嘉子は戦後間もない頃に司法省(昭和27年「法務省」に改称)の役人と面談した時、

「戦前はなぜ女性を行政官に採用しなかったのですか?」

昔から疑問だったことについて問うたことがある。するとその役人の口から、

「女性を不採用とする法律上の規定は、当時も存在しませんでしたよ」

と、意外な答えが返ってくる。しかし、戦前の民法では結婚している女性が仕事をする場合、夫の同意が必要とされていた。夫の同意がなければ何もできない「無能力者」として扱われていたのである。無能力者に国の重要な仕事である行政官や裁判官は任せられない。と、それが女性を裁判官や判事にしない理由だったという。