第1次世界大戦は、工業生産力の高いアメリカの参戦と、スペイン風邪の流行により終結しました。結ばれた講和条約の内容はどのようなものだったのでしょうか。終結後の各国の動きを見ていきましょう。立命館アジア太平洋大学(APU)名誉教授・学長特命補佐である出口治明氏の著書『一気読み世界史』(日経BP)より解説します。
自由な上海フランス租界で、中国共産党が誕生
中国の上海には、いろんな租界がありました。いわば列強の植民地です。
租界には中国の権力が及ばないので、自由がありました。だから、中国共産党は1921年、上海のフランス租界で誕生しています。韓国の若き独立運動の志士で、やがて大統領になる李承晩も1919年、やはり上海のフランス租界で臨時政府をつくっています。上海はある意味、自由な街でした。
ロシアは、第1次世界大戦中にレーニンが革命を起こし、戦線から離脱していました。その後、内戦が続いていましたが、1922年、ロシア共産党が勝ち抜き、スターリンが書記長になって、ソヴィエト連邦が成立します。
国際協調と軍縮の時代に、日英同盟が破棄される
世界は国際協調と軍縮の時代に入ります。第1次世界大戦では戦車や戦闘機、毒ガスも登場して、凄惨なことになりました。「さすがにやりすぎた」「こんな愚かなことをやってたらあかん」と、みんなが反省したのですね。
1921年、ワシントン会議が開かれます。史上初の軍縮会議です。ここで英米仏日の4ヵ国条約が結ばれました。
このとき、日英同盟は破棄されました。ロシアが混乱に陥ったので不要になったということもありますが、中国で火事場泥棒を働いた日本に、欧米が疑惑の目を向けたという事情もあったようです。
1925年、ドイツとフランスが、「もう喧嘩はやめようね」と、ロカルノ条約を結ぶと、世界は明るい空気に包まれました。しかし、同じ1925年にヒトラーの著書『我が闘争』が出版されています。
出口治明
立命館アジア太平洋大学(APU)
名誉教授・学長特命補佐