産業医に聞く、オンライン診療が切り拓く人的資本投資の最前線
――なぜオンライン診療が法人にも必要であると考えたのでしょうか?
企業には産業医という医師を労働安全衛生法で設置するようにと定めれられているにもかかわらず、実態として活用しきれていないことに、私自身が産業医として企業に関わるなかで、課題を感じてきたからです。
日本では労働安全衛生法により、原則として、従業員が50人以上いる企業は産業医と契約しなければなりません。また、50人以上のスタッフを擁する事業所では「嘱託産業医」と呼ばれる、月毎に職場巡視等を行う産業医を選任・契約しなければなりません。さらに、1,000人以上の事業所となると業種にもよりますが、原則として、常勤の産業医を「専属産業医」として雇用しなければなりません。
しかし、社内診療所を利用したことのある方はそう多くないのではないでしょうか。実際に社内診療所の数は、企業の福利厚生費の削減などの理由により、ここ30年で半減しています。理由はさまざまですが、その1つとして、役員フロアなど一般の従業員が使いづらい場所にあるという声をよく耳にします。
私は参議院事務局をはじめとした中央官庁や上場企業を中心に、50団体以上の産業医を務めてきました。これまでの経験のなかで、忙しいビジネスパーソンが「出社はしているものの、調子が悪い」症状を放置している。もしくは、症状に無自覚なまま働いている実例を多く見てきてきました。
病院には「症状を我慢できなくなったら行こうかな」くらいに思っている方も多いのではないでしょうか。そもそも、忙しくて通院や待ち時間が必要な病院に行く時間など、ないかもしれません。
そうした背景があり、「オンライン診療を企業の産業医の活動にも活用できないか」という思いから、企業の労働生産性の改善に貢献するサービスとして、企業向けオンライン診療「FairClinic」の開発を始めました。
――「FairClinic」は具体的にどのようなサービスですか?
オンラインを活用し、産業医による診察と薬の処方まで、ワンストップで利用できるサービスです。
具体的にはメッセンジャーアプリ「LINE」から友だち登録をするだけで利用することができます。事前問診票を記入して送信いただくと、オンライン通話で医師の問診を受けた後、症状に応じた処方薬が郵送され、自宅で受け取ることできるという仕組みです。薬は薬局等で購入できる市販薬よりも高い効果が期待できる、医療用医薬品を処方します。
対応している症例としては、プレゼティーズムの症状である、頭痛・肩や腰の痛みや、花粉症・眼精疲労・不眠症・睡眠時無呼吸症候群などです。インフルエンザが流行する時期には、インフルエンザ予防内服薬の処方にも対応しました(自費診療)。
「FairClinic」によって、オンラインで自宅からでも職場からでも医師の問診と薬の処方が受けられるようになります。それにより仕事や家事、プライベートの活動等に忙しい従業員の皆さんが「ちょっとした不調」を我慢することなく、医療サービスへアクセスしやすい仕組みを整えることができます。
――現在オンライン診療はさまざまなサービスがありますが、企業の福利厚生としてオンライン診療を提供するサービスはめずらしいですね。
医療関連のサービスづくりは手間もコストもかかりますし、さまざまな制約もあります。私がローンチする前はこのようなサービスはほぼなかったかと思います。
――「FairClinic」が企業で活用された症例を教えてください。
身近な症状だと、ドライアイや老眼ですね。医学的には「調節障害」といいます。
目が乾いてしょぼしょぼしたり、視界がかすんだり、ピントがすぐに合わなかったり……。目の問題が引き起こすプレゼンティーイズムの経済的損害は、企業側も従業員側も特に大きいといわれています。
「FairClinic」を活用して従業員の方へ目薬を処方した事例では、「これまで1時間に数回、目がしょぼしょぼして作業が中断されていたのが、なくなった」「数時間レベルで、仕事に集中できるようになった」という声を多くいただいています。
たとえ目がしょぼしょぼしている時間が1日10分だとしても、月に200分、年間2400分(年200日労働と仮定した場合)、40時間にのぼる作業時間のロスを改善できます。
「FairClinic」はフリーランス向けの福利厚生サービスとしても導入いただいています。たとえばエンジニアの方はモニターやスマホを長時間見るため、わざわざ眼科に行かなくても目薬等の処方薬を受け取れる点が喜ばれています。
――今後、オンライン診療が普及することにより、医療サービスへの関わりはどのように変化していくと思いますか?
今後は、オンライン診療とリアルな対面診療、お互いのメリットを生かしてミックスしていく形が一般的になると思います。
対面診察のメリットは、実際に触診ができるところです。私はメンタルクリニックを2院運営していて、週に100件以上の外来診療を受けもっていますが、身体を触ったり押したりしたときの感覚や、それに伴う患者さんの微妙な表情の変化、匂いなども参考にすることがあります。
一方で、対面診察のデメリットは、病院へ行く時間や待ち時間など、患者さんにとって時間と労力がかかるところです。オンライン診療を利用すれば自宅や職場からでも診察が受けられますので、忙しい合間をぬって診療所に足を運ぶ手間から解放されます。当然、待ち時間もありません。
企業の福利厚生においても、既存のリアルな社内診療所や産業医面談のメリットを生かしつつ、それを補完するサービスとしてオンライン診療をミックスして活用いただくことで、企業の投資である人的資本投資の取り組みがより加速していくと思います。
――人的資本投資を推進するために、企業側に、産業医をどのように活用してほしいですか?
企業の経営層の皆さんには、人的資本投資の観点から、組織の生産性向上を達成するための経営の参謀として産業医を活用いただきたいと考えます。
現代は少子高齢化と労働人口の減少、人生100年時代を迎え、長く健康に働くことや幸福に社会参加することに価値が見出されるようになりました。職場が労働者に提供すべきサービスは「メンタル支援」と「がんを中心とした、治療と仕事の両立支援」が重要になってくると思われます。
「経営の参謀として頼りになる産業医」には、1.多くの職場を見ている産業医であること。従業員のメンタル不調にも医学的知見から助言できること。2.精神科の産業医であること。HRテック(=HumanResourceTechnology、人事が抱える課題を解決に導くサービスや技術)をはじめとしたITの情報をキャッチアップしていること。3.ITリテラシーの高い産業医であること、という3点が求められると私は考えます。