グーグル社員、節約のためトラックに住み始める

ブランドン・スプレイグは、マサチューセッツ州東部の町でブルーカラーの両親の下に生まれた。母は眼科医のクリニックで働き、父は日除けをつくる仕事をしていた。

自分の生き方は両親を反面教師にしている部分が大きいと、ブランドンは話す。母は「物欲が強い」と言い、小型マッサージ器や食料品店のレジ近くに並ぶ小物などを衝動買いすることが多かった。父は「昔ながらの男」でバイクに乗り、1日の終わりには必ずバーに足を運んだ。

ブランドンはマサチューセッツ大学アマースト校に進学するために家を出るまで、5回引っ越しをしたという。だから、「自分にとって錨(いかり)となるような特別な場所を持ちたいとはあまり思わないんだ」と話す。

ブランドンは若々しい顔つきで目はキラキラしているが、落ち着きがあり、よく考えてから発言する。SNSによく投稿し(「意識がないものはすべてツールである」「ある程度お金ができると、それがすごく役に立つ機会は減る」など)、口にする言葉から購入する靴下まで、彼の行動の裏にはきちんと考えがあるのが窺えた。

ブランドンは学生時代、大学の学費を稼ぐために毎週30〜40時間、マサチューセッツ州の南西部の公共交通を監督するパイオニアバレー交通局で働いた。バスの運転手として働き始めたが、そこで4年働く間に、交通局の給与計算とルート管理のソフトウェアを書き直していた(ブランドンは13歳でプログラミングを独学で習得している)。

大学3年生になると、グーグルでインターンシップをする機会を得た。それまでブランドンはマサチューセッツ州の地元から出たことはほぼないし、パスポートも持っていなかった。とはいえ、21歳の夏、カリフォルニアでのインターンシップのために初めて国の反対側へと向かったのである。

昼寝スペースやバレーボールコート、キャンパス内のドライクリーニングサービスを備えたグーグル本社はパイオニアバレー交通局とは何もかもが違った。しかし、ブランドンにとって最も衝撃だったのはベイエリアの生活費の高さである。シリコンバレーで夏を過ごす間、3人のルームメイトと2ベッドルームの部屋を借りた。それぞれが家賃に月2000ドル(約29万円)以上を支払った。

ブランドンはそんな大金を払うことに不満を感じた。だから、翌年グーグルよりフルタイムの仕事のオファーを受けたときから、ブランドンは生活費を最小限に抑えながら、そこでの暮らしの恩恵を受けるにはどうすべきかを考え始めた。学生ローンが2万2434ドル(約325万円)、貯金が数百ドルの状態でブランドンがサンフランシスコに向かったのは2015年5月のことである。

正式なグーグル社員になるまで2週間あり、引っ越し手当は初給料の支給日まで支払われない。幸い、グーグルは新入社員が一時的に住めるキャンパス内の社宅(もちろん、Gスイート(GSuites)と呼ばれている)を用意していて、ブランドンは仕事が始まるまでそこに滞在した。

その間、彼は温めていた計画を実行に移した。地元の信用組合から9500ドルを借り、住まいとなるクルマを探すことにしたのだ。

ブランドンはカーゴトラック専門の中古車ディーラーであるグリーンライト・モーターズに向かった。1万ドル(約145万円)以内で買えるものはあまりなかった。しかし、駐車場の奥にトラックレンタル会社「バジェット」のオレンジ色のロゴがあせた白いトラックが置かれているのを発見する。ヘッドライトのひとつは緩んでいて、屋根にはひびが入っており、床も修繕が必要だった。それでも、ブランドンはこのトラックに心惹かれた。

子どもの頃、たくさんの時間を過ごした祖母の家でのひとコマを思い出したのだ。祖母の家には持ち手がセラミックでできた古い銀製品がたくさんあった。ある日、ブランドンが持ち手が割れていたり、欠けているスプーンを避けていることに気づいた祖母はこう言った。「ブランドン、壊れたスプーンにも愛が必要なんだよ」16フィート(約4・88メートル)のボロボロのトラックを見ながら、祖母の言葉が甦った。

「このトラックに愛を注ごうと思った。きれいに掃除すればいい。必要なら修理だってできる」とブランドンは話す。彼はその場で購入を決めた。そして正社員として働き出したその日からの5年間、ブランドンはグーグルのキャンパス内か、キャンパスのすぐ近くに停めたこのトラックの中で生活した。

入社して1年後、グーグルは6桁ドルもの給料を稼いでいるソフトウエアエンジニアが、会社の駐車場に停めたトラックで生活しているという話を聞きつけ、キャンパス内に停めた車両で寝泊まりすることを禁止した。そこで、ブランドンは会社がある通りの向こう側にクルマを停めるようになった。