2009年、アメリカで突如起こった「プリウスのリコール問題」。トヨタ自動車の豊田社長(当時)が米議会公聴会に呼び出されるという事態にまで発展したこの「問題」は、自動車評論家の鈴木均氏によると、その後はじまるTPP交渉へ向けての、一種の「目くらまし」だったと考えられます。鈴木氏の著書『自動車の世界史』(中央公論新社)より、詳しく見ていきましょう。
1978年に輸入車への関税をゼロにして以来、苦節30年…戦後初めてアメリカの意に反し、日本が下した「大きな決定」【歴史】
東日本大震災が世界の自動車産業に及ぼした影響
日本車を一層元気に、という矢先に日本を襲ったのが、3・11だった。東日本大震災による死者・行方不明者は12都道県で死者1万5,859人、行方不明者3,021人(2012年、警察庁)に上り、1923年の関東大震災、1896年の明治三陸地震に次ぐ、甚大な被害をもたらした。行方不明者はなお2,523名(2022年、警察庁)と発表されている。様々な復興支援が行われ、トヨタは東日本大震災をきっかけに2012年、「トヨタ第三の製造拠点」としてトヨタ自動車東日本を宮城県大衡村に設立している。
3・11は日本の自動車産業のみならず、世界の自動車産業に影響を及ぼした。国内では500社近いサプライヤーが被災し、犠牲者も出た。
グローバルなサプライチェーンにも影響が出た。一例として、自動車制御用マイクロコントローラ(マイコン)で約4割のグローバル・シェアを誇ったルネサスの那珂工場が被災し、この不可欠な部品が届かないことでグローバルに自動車生産が停滞した。
矢崎総業は自動車ハーネスのグローバルな大手だが、栃木工場、宮城工場などが被災し、海外のメーカーにも影響が及んだものの、1週間後に稼働可能に戻った。
ハーネスとは、人体でいう神経系のようなもので、車の隅々まで張り巡らされている電気系のことである。バッテリーの正極から出て、エンジンへの点火と発送電、運転席のパネル表示、室内照明、ヘッドライトやウインカーの点灯、空調など全てをつなぎ、最後はバッテリーの負極に戻る。同じ車種の同じ位置にあるスイッチであっても、最上位モデルと廉価版では指示内容が異なることがあり、職人の技を要するのである。
サプライチェーンに不可欠な道路の早期の復旧は、被災地で暴動や略奪が起きないことと併せ、世界から称賛された。NEXCO東日本管内で20路線、854キロにわたり高速道路で被害が発生したが、翌12日には仮復旧を終え、緊急車両が通れるようになった。関東で最も大きな被害が発生した常磐道も、6日後にスピード復旧した。
3・11により、車の使い方、車への人々の期待の寄せ方にも変化が起きた。被災地が停電し、全国的に計画停電が実施されるなか、巨大なバッテリーを積むEVが非常時の家庭電源として注目された。
EVである日産リーフと三菱アイミーブをはじめ、家庭用電源ソケットを装備したプラグイン・ハイブリッド車(PHEV)や、同じく家庭用電源を出力できるHV車が電力復旧まで活躍した。かつて戦後まもない時期、日産車を指し「医者のダットサン」と呼ばれたが、電力が復旧していない被災地の病院でもリーフが電力源として活躍した。
先述のとおり、三菱アイミーブと日産リーフが震災前に登場した意義は大きかった。11年8月、日産と三菱はEVから家庭に電力を供給する規格の統一に取り組むことを発表した。それまではメーカーを超えた互換性がなかったのである。
鈴木 均
合同会社未来モビリT研究 代表