「ビスマルクの下で皇帝であることは困難である」

ビスマルクは外交の天才でしたが、大変わがままな人でした。自分が提案したことに対して、皇帝が決断を渋ると、田舎の領地に帰ってしまいます。皇帝が折れるまで2ヵ月でも3ヵ月でも引きこもっています。

ひどい部下ですね。

ヴィルヘルム1世は名言を残しています。

「ビスマルクの下で皇帝であることは困難である」

でも、誰よりもすごいのは、こんなわがままな部下でありながら、その能力を認めてずっと使い続けたヴィルヘルム1世ですよね。ドイツ帝国の幸運です。

外交を理解しないヴィルヘルム2世が「サンドイッチの具」にされる

そのヴィルヘルム1世が没すると、子どものフリードリヒ3世も即位してすぐ死去します。

そこでヴィルヘルム1世の孫のヴィルヘルム2世が即位しますが、このころからプロイセンはおかしくなります。ヴィルヘルム1世は「ビスマルクを大事にせんとあかんで」と遺言を残していましたが、ヴィルヘルム2世は我慢しきれず、即位から2年後の1890年にビスマルクをクビにします。

ヴィルヘルム2世には高度な外交が理解できませんでした。ビスマルクはロシアの南下政策を牽制しながらも、同盟や条約を結ぶことでなだめていました。そんなロシアとの関係を、ヴィルヘルム2世は、直情的に断ち切ってしまいます。

心配になったロシアは1894年、フランスと同盟を結びます。露仏同盟です。今度はプロイセンが、ロシアとフランスに挟まれ、「サンドイッチの具」になってしまいました。

出口治明

立命館アジア太平洋大学(APU)
名誉教授・学長特命補佐