19世紀後半、ナポレオン3世率いるフランスは、普仏戦争をきっかけに帝政崩壊の道を歩みます。一方、フランスの孤立化を図るドイツ帝国は、同じくフランスと対立するオーストリアやイタリアと手を組み、同盟を結びます。立命館アジア太平洋大学(APU)名誉教授・学長特命補佐である出口治明氏の著書『一気読み世界史』(日経BP)より、この時期のヨーロッパの覇権争いについて、詳しく見ていきましょう。
宿敵フランスに戦争で圧勝し、ドイツ帝国に多大な貢献を果たした“天才”宰相・ビスマルクだったが…“上司”である次の次の皇帝にあっけなくクビにされた、まさかの理由【世界史】
ナポレオン3世に皇后が愛想をつかし、第2帝政が崩壊
プロイセンとの普仏戦争が始まったとき、フランスのナポレオン3世は、長年の放蕩がたたって、歩くのもやっとという状態でしたが、ガールフレンドたちと遊ぶのをやめません。ナポレオン4世という賢い子どもがいた皇后は、夫に愛想をつかします。「あなたが戦場にいったらフランスの将兵が発奮してきっとプロイセンをやっつけますよ。パリは摂政の私と皇太子で守りますから」と、夫を送り出しました。
ナポレオン3世は足を引きずりながらセダンにいき、包囲されます。そこで必死に戦うかと思いきや、あっさり降伏するのです。「どうせ負けるのだったらフランス人の血を流さない方が、フランスのためや」と。ナポレオン1世とはえらい違いです。
これで第2帝政は瓦解します。
ナポレオン3世はフランスに居場所がないので、家族ともどもロンドンに亡命します。屋敷は昔のガールフレンドが準備してくれました。不思議な人ですね。
外交の天才ビスマルクが、フランスを孤立させる
フランスの第2帝政が崩壊すると、新生ドイツ帝国が樹立されます。初代皇帝となったヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿で戴冠式をします。この場所を選んだのは、かつてベルリンをナポレオンに占領され、プロイセンの領土が半減した仕返しですね。これがまた第1次世界大戦後にひっくり返るわけです。怨念は怖いですね。
ビスマルクは大変賢い人で、この戦争でフランスがドイツを恨んでいるということを十分認識していたので、フランスを孤立させようと考えます。
まず1873年にオーストリア、ロシアと三帝同盟を結びます。そして、オーストリア、イタリアと三国同盟を結びます。オーストリアとイタリアは、ヴェネツィアとロンバルディアを巡って争っていた仇敵ですよね。それでも、ビスマルクの口車に乗ると同盟を結んでしまうのです。ビスマルクは外交の天才です。
こうしてビスマルクは、ロシアとオーストリア、イタリアと上手に同盟を結んでフランスを孤立させることに成功しました。