1976年、埼玉県の与野市で日本初のタワーマンションが建設されてから、もうすぐ半世紀になろうとしています。価格は高値で推移しており、「割高すぎる」と考える人も多いでしょう。しかし、それでも売れ続けるのはなぜなのでしょうか。『60歳からのマンション学』(講談社)の著者でマンショントレンド評論家の日下部理絵氏が解説します。
そもそも「タワマン」とは何か
タワーマンション(タワマン)というと、美しい夜景にスパやゲストルームなどの豪華な共用施設があるというイメージもあるだろう。
そもそもタワマンとは何か。一般的には20階以上、高さ60m以上の住居用の超高層建築物をタワマンと呼んでいる。高さ以外には○○戸以上といった戸数の縛りや、共用施設の中身などが定義されているわけではない。
タワマンというと、希少性も魅力のひとつとされる。しかし、東京カンテイの「タワーマンションのストック数(都道府県)」によると、2021年12月末時点における全国のタワーマンションストック数は、1,427棟で37万5,152戸もあるという。
このうち首都圏だと760棟・23万2,477戸で、棟数・戸数ともに全国の過半数を占める。東京都だけだと458棟・14万6,300戸、棟数ベースで全国のシェア32・1%。次いで大阪府255棟・6万3,951戸、神奈川県139棟・4万2,672戸と続く。ちなみに47都道府県のうちタワマンがあるのは38都道府県にもなる。
日本初のタワマン建設は1976年
そんなタワマンだが、実は日本初の分譲タワマンが建設されてから40年以上経っているのをご存じだろうか。
歴史はさかのぼり、前回の東京オリンピックを目前にした1963年に建築基準法の規制である特定街区が改正され、続く1970年の法改正によって、31mに規制されていた高さ制限が解除。この影響を受けて1970年代よりタワマンの先駆けといわれる高層マンションが建設されることになる。
日本初のタワマンは、1976年に建設された、高さ66m、地上21階建ての「与野ハウス」(埼玉県与野市・住友不動産)。高さが異なる4棟からなり、うち2棟が高層棟、総戸数463戸である。
1970年代から90年代半ばでは、現在より容積率や日照権などの規制が厳しく、超高層マンションを建設するためには広大な敷地が必要だったため、敷地面積を確保しやすい河川の近くや工場の跡地が建設地として選ばれていた。
そして1997年の建築基準法の大改正によって、容積率や日照権などの規制が大幅に緩和。これにより主要駅周辺の人口集積地域にも、タワマンの建設が可能となる。これを受けて1999年には、いまでもタワマンの代名詞ともいわれる東京・月島に54階建ての「センチュリーパークタワー」が完成する。また、都電荒川線早稲田駅から徒歩約2分に「西早稲田シティタワー」も完成、駅近で利便性が高いタワマンも建設された。ここから都市部でのタワマン建設が続いている。
日本のタワマンは、建築基準法の規制緩和の影響を受けて、高さや立地における自由度を広げており、2021年以降も、全国で280棟11万戸弱のタワマンの建設・計画が見込まれている(不動産経済研究所、2021年4月27日プレスリリース)。