2021年のカンヌ国際映画祭で日本初の脚本賞に輝いた、映画『ドライブ・マイ・カー』。国内外で高く評価された同作品で効果的にクラシック音楽が使用されています。著書『生活はクラシック音楽でできている 家電や映画、結婚式まで日常になじんだ名曲』(笠間書院)から、音楽プロデューサーの渋谷ゆう子氏が、名曲に隠された作曲家の人生や時代背景を交えながら解説します。
西島秀俊演じる主人公が〈妻の浮気〉に遭遇したときにかかっていた音楽の意味は…クラシック音楽からひもとく映画『ドライブ・マイ・カー』
村上春樹とクラシック
村上春樹はクラシック音楽に造詣の深い作家のひとりです。小説の中にクラシック音楽が登場するだけでなく、指揮者小澤征爾と対等に音楽議論を行って対談集を発表もしています。
そんな村上春樹作品の映像化にはやはりクラシック音楽を効果的なBGMとして使用しているものがあります。短編集『女のいない男たち』の中から『ドライブ・マイ・カー』『シェエラザード』『木野』の3編を元に構成した、濱口竜介監督作品『ドライブ・マイ・カー』(2021)です。
本作は2021年カンヌ国際映画祭において日本映画史上初となる脚本賞を、加えて3つの独立賞も受賞し計4冠に輝きました。さらに第94回アカデミー賞では作品賞・脚本賞を含む4部門にノミネートもされ、国際長編映画賞を受賞しました。
劇中では村上春樹作品だけでなく、チェーホフの『ワーニャおじさん』を劇中劇として、セリフを映画のストーリーに盛り込んで絡ませていくという、練られた脚本が高く評価されました。
その他多くの映画賞を世界中で獲得し、日本だけでなく海外でも高く評価され上映が続いたヒット作です。近年の日本映画界を大きく沸かせた一作となりました。この中に、実はクラシック音楽が効果的に使用されています。
主人公である俳優の家福(西島秀俊さん)は、脚本家の妻(霧島れいかさん)が浮気を繰り返しているということに気づいていながらも、言及することなく波風を立てずに生活を続けています。
しかしある時、予定外に早く帰宅すると、リビングルームで妻と若手俳優の浮気を目撃してしまいます。その様子を覗き見たにもかかわらず、家福はふたりに気づかれないよう、そっとドアを閉じ家を出るのです。
これまで日々繰り返してきた穏やかな日常をそのままにするため、家福は問題に気づかないふりをすることにしたのですが、この日の出来事をきっかけに、実は物語が大きく展開していくことになります。
このシーンでは、リビングのオーディオ機器から大きな音でモーツァルト作曲『ロンド ニ長調K.485』がかけられています。モーツァルトがあの名オペラ『フィガロの結婚』を作っていた頃の、1786年に作曲した楽曲です。この軽快で愛らしいメロディがピアノで奏でられている録音を、家福の妻がリビングで流していました。
ロンドとは、男女が輪になって歌いながらぐるぐると回るダンスのことを示します。音楽用語としては、主題(テーマ・メインのメロディ)が何度も繰り返されて使われる楽曲のことを示します。ただ、この映画で使われている『ロンド ニ長調』は一般的な”ロンド”にはそぐわない内容なのです。同じ主題を繰り返して使うのではなく、転調を重ねて、さらには別のメロディに展開される楽曲です。
ロンドと名付けられてはいても、本質はかなり違っています。繰り返すのではなく展開する。この曲が持つ意味は、映画の中の家福と妻の関係性の変化をそのまま表しているのです。