弔う側も年を取る…「ランチで会食」もおすすめ

最近は、リメイクした母のアクセサリーすら身に着けるのは稀だ。宝飾品を着けたり外したりするマメさがなくなるし、着けているとなんか疲れるからだ。これからの方は、まだリメイクして着けて楽しいうちに、遺品も弔い合戦も、愉しんだほうがいい。

アラカンのいま、たくさんは食べられないから、食事に行くのすら億劫なのだ。もし、すでにお年を召されていて、コース料理などは無理、という方は、単品で注文するか、ランチで会食をおすすめする。

お昼ならまだ、寝るまでに消化の時間を確保できる。夕飯を少なめにすれば翌日に響くこともないだろう。それすらままならない場合は、家で普通の食事や晩酌の際、故人の遺影をテーブルに飾るだけでもいい。

せめてもの花も、私は信濃屋のレジ横で買った。300円で、きれいな大きいピンクの薔薇が売られていた。麦穂とグリーンがついて、母にぴったりの花束だった。それを、親友にもらった赤い切子の花器にさし、遺影にお供えした。気は心だ。これだけでも、供養にはなるだろう。

法事は「一周忌まで」の家が多い

敬虔な仏教徒で、とか、大きなおうちでやらざるを得ない、という場合は何回忌でもやらねばならないだろうが、そうでもない場合、一周忌で弔い上げ、という家が多いと聞く。 

現実問題として、故人のことばかり考えて生活するわけにもいかないからだ。毎日は過酷で、忙しい。私たちができる供養は、自分自身を構成する遺伝子を大切にし、その肉体を管理、出来る限り健康に、幸せに生きることだ。

大切な人を亡くしたからといって、悲しみに暮れている暇はない。悲しみは、体にもこたえる。悲しいとき、辛いときはますます、美味しいものをちょこっと食べて、自分を幸せにする努力をやめないことだ。

悲しいからって、生活が荒れ、ちゃんとしたものも食べず、心身の具合が悪くなってしまったら、故人も心配だろう。おちおち眠ってもいられない。極楽浄土に行ってもらうには、現世での心配事をなくしてあげるのが一番だ。

残された者が元気で生きる。それがなによりの供養なのだ。

一周忌の法要

故人が亡くなってから満1年目に行われる一周忌は、年忌法要の中でも重要とされています。準備は四十九日法要とほぼ同じ(位牌の手配はなし)。

ただ、昨今は故人の希望や親戚が少ない等家族関係の変化、高齢化による負担増等から、行わないケースが増えています。

横森 理香
一般社団法人日本大人女子協会 代表
作家/エッセイスト