ノスタルジーと現実は違う…母がのこした「大量の衣服」のゆくえ

母はおしゃれだったから、おびただしい量の洋服、靴、バッグを残した。それも、秋田にいる間にあらかた仕分けなければならなかった。「カシミヤのコートは、私が美和(私の姉)のために管理することになってるから」と従姉の千津子姉さんが言うので、着物と一緒に送った。

「美和にとっては一生ものだから」と言うが、洋服に興味がない姉が、カシミヤのコートを着るとは思えなかった。まあ、千津子姉さんは母と半分一緒に育った、いわば姉妹みたいなものだから、着てくれるなら供養になる。

宝飾品や着物、高価な衣類などは死後、親戚縁者で取り合いになるという話をよく聞く。

おばあちゃんと一番仲が良く、老後の面倒を見ていた友人が言っていた。「母はなんにもしなかったのに、宝石だけ持って行った」と。その代わり、彼女は遺言で大きな土地を相続した。土地の半分は相続税で持っていかれたものの、残り半分に豪邸を建てて住んでいる。

これも親族から喧々囂々(けんけんごうごう)と非難されたらしいが、それぐらいのお世話はしていたのだ。「施設に預けてからも、毎日面会に行ってました」と語る彼女は、遺産が目的だったわけではなく、本心からお世話していた。ホントはこういう人が、遺品も身に着けるべきだと思う。

姉には母が最後に上京した際に着ていた、軽くてあたたかそうなハーフコートをあげた。まだ新しいし、カジュアルだから姉にも着られるだろう。私は母が半纏代わりによく羽織っていた、ハレルヤのカーディガンをもらった。着やすいようにわざわざ裏をつけさせたカシミヤの10万円カーディガンだ。

私も杉並の家にいた頃よく貸してもらっていたから、思い出としてとっておきたかったのだが、結局、猫の毛がつくし爪がひっかかるので、姉にあげてしまった。ノスタルジーと現実は、残念ながら違うのだ。