一周忌、三回忌、百回忌…法事はいつまでやればいい?

法事はやろうと思えばたくさんある。命日から満1年が一周忌。満2年が三回忌、満6年が七回忌、満12年が十三回忌、満16年が十七回忌、満22年が二十三回忌、満24年が二十五回忌、満26年が二十七回忌……はぁ。満32年が三十三回忌。

三十三回忌でやっと弔い上げとなるそうな。故人の位牌から先祖代々の位牌に合祀されるとか。今回執筆に当たってネットでいろいろ知るが、父の位牌はまだそのまま祀られている。亡くなったのは45年前だから、とっくに弔い上げとなってはいるが。

宗派によっては亡くなってから満49年を五十回忌とし、やっと弔い上げとなるそうだ。生前に罪を犯した故人も、それが許され極楽浄土に旅立てるとされている。

そしてよっぽどの旧家でない限り最早やらない百回忌は、命日から満99年目に行われる。私でも耳にしたことがあるぐらいだから、昔はここまでやっていたのではないかと思われる。しかし……。

我が家も、父のときは三回忌まで、母のときは一周忌までしかやらなかった。それも、居住まいを正して食事に行っただけだ。お墓に卒塔婆とお経は上げてもらったが、娘をベビーシッターに預け、親友と夫、母の遺影(ミニ)で、母の好きだったセルリアンタワーの中華料理店「陳」で献杯した。

母のアクセサリーで、母の好きな料理を…筆者が行ったカジュアルな一周忌

弔い方は人それぞれでいいが、私は母のアクセサリーを身に着け、レストランのテーブルに飾っても恥ずかしくないサイズの遺影を持って行った。

故人が生きていたら来たかっただろう店に連れて行くのが供養だ。「陳」の陳建一さんも亡くなったが、当時はたまに厨房に顔を見せていた。「料理の鉄人」で知られるシェフだが、母は有名人好きに加え、中華料理が好きだった。最後に食べた中華も、ここの汁蕎麦だった。

ほんとは大好物のおこげを食べたいところだっただろうが、すでに末期がんだったので、野菜汁蕎麦にしてもらった。それでも完食、デザートの杏仁豆腐まで食べきったのだから、その食欲たるや。

もっともっと御馳走を食べ、もっと派手に生きたかった母だから、パーティや海外旅行、素敵なレストランなどに行くときは、いつも母のアクセサリーを身に着けていった。これは私なりの弔いだった。しかし、遺族も年を取る。