家族やパートナーなど身近な人の死後、のこされた遺族には「大量の実務」が待っていると、『親を見送る喪のしごと』の著者で作家・エッセイストの横森理香氏はいいます。たとえば法事は、いつまでやればいいのか、どんな風に弔えばいいのか……そうやって憂うつに考えるよりも、故人のことを心から想っていれば、形式にとらわれる必要はないかもしれません。今回、忙しい現代人に向けて“カジュアルな弔い方”を紹介します。
法事は一周忌まで、手向けの花は“スーパーのレジ横で300円”…忙しい現代人のための「カジュアルな弔い方」
一周忌、三回忌、百回忌…法事はいつまでやればいい?
法事はやろうと思えばたくさんある。命日から満1年が一周忌。満2年が三回忌、満6年が七回忌、満12年が十三回忌、満16年が十七回忌、満22年が二十三回忌、満24年が二十五回忌、満26年が二十七回忌……はぁ。満32年が三十三回忌。
三十三回忌でやっと弔い上げとなるそうな。故人の位牌から先祖代々の位牌に合祀されるとか。今回執筆に当たってネットでいろいろ知るが、父の位牌はまだそのまま祀られている。亡くなったのは45年前だから、とっくに弔い上げとなってはいるが。
宗派によっては亡くなってから満49年を五十回忌とし、やっと弔い上げとなるそうだ。生前に罪を犯した故人も、それが許され極楽浄土に旅立てるとされている。
そしてよっぽどの旧家でない限り最早やらない百回忌は、命日から満99年目に行われる。私でも耳にしたことがあるぐらいだから、昔はここまでやっていたのではないかと思われる。しかし……。
我が家も、父のときは三回忌まで、母のときは一周忌までしかやらなかった。それも、居住まいを正して食事に行っただけだ。お墓に卒塔婆とお経は上げてもらったが、娘をベビーシッターに預け、親友と夫、母の遺影(ミニ)で、母の好きだったセルリアンタワーの中華料理店「陳」で献杯した。
母のアクセサリーで、母の好きな料理を…筆者が行ったカジュアルな一周忌
弔い方は人それぞれでいいが、私は母のアクセサリーを身に着け、レストランのテーブルに飾っても恥ずかしくないサイズの遺影を持って行った。
故人が生きていたら来たかっただろう店に連れて行くのが供養だ。「陳」の陳建一さんも亡くなったが、当時はたまに厨房に顔を見せていた。「料理の鉄人」で知られるシェフだが、母は有名人好きに加え、中華料理が好きだった。最後に食べた中華も、ここの汁蕎麦だった。
ほんとは大好物のおこげを食べたいところだっただろうが、すでに末期がんだったので、野菜汁蕎麦にしてもらった。それでも完食、デザートの杏仁豆腐まで食べきったのだから、その食欲たるや。
もっともっと御馳走を食べ、もっと派手に生きたかった母だから、パーティや海外旅行、素敵なレストランなどに行くときは、いつも母のアクセサリーを身に着けていった。これは私なりの弔いだった。しかし、遺族も年を取る。