「三行提報」がもたらす「全員参画経営」
サトーグループでは、社員が毎日、業務で得られた気付きを3行以内にまとめて社長に提出する「三行提報」という制度を、47年間にわたって継続してきました。社員から日々約2,000件の提案が寄せられています。
「三行提報」は、サトーグループの創業者である佐藤陽氏が、社員にも経営者目線を持って物事を考え、提案や報告をしてもらうために導入した制度です。
当初は、幹部社員が市場やお客さまの声、職場での気付きや工夫をB5用紙1枚にまとめ、社長に提出する形でした。しかし、会社が成長して人員が増えるのに伴い、社長が限られた時間で効率よく内容を把握することが難しくなりました。そこで、情報の要点を3行以内で簡潔にまとめる形式がとられ、現在の「三行提報」の形になりました。
社長は、この「三行提報」を通じて、現場の率直な意見を把握することができます。また、一つひとつの情報は小さなものであっても、これらが別の情報源と結びつくことで、個別の事象が全体の概要として浮かび上がることもあります。これらは、製品・サービスの改良や、社員の働き方の改善に寄与します。
「三行提報」は、経営者にとって鋭い洞察とダイレクトなフィードバックを得る強力な手段です。現場の本音を捉えることで、製品・サービスの改善や社員の働き方の改善に繋げ、課題を早期に発見し解決することができます。このことはリスクマネジメントの観点からも重要です。
同時に、「三行提報」は、社員にも大きな影響を与えます。サトーホールディングス社 秘書部 提報グループ長の近東佑美氏は、「三行提報」に記載された提案が実現すれば、従業員に「経営に参画している」という自覚が芽生え、それがモチベーションの向上に繋がるといいます。
社員が自分たちのアイデアや懸念をダイレクトに経営者に伝える環境が整うことで、経営者によるリーダーシップの発揮も容易になります。
このように、「三行提報」はサトーグループの「全員参画経営」を実現する重要な一翼を担っているのです。
「三行提報」のしくみが抱えていた課題
しかし、同社がより大きく成長し、規模が大きくなるにしたがい、「三行提報」のしくみは新たな課題を抱えることになりました。
「三行提報」にかかる人的コストの増大です。秘書部長 渡辺均氏によると、「三行提報」の量が増加し続け、このままでは人的な作業だけでは対処しきれなくなる状況が生じてきたということです。
サトーグループでは、日々提出される約2,000通もの「三行提報」から、約15通の情報を優先的に社長に提出しています。選別は約10人からなるチームが2段階で行い、最終チェックを経て、社長へ上程するというプロセスでしたが、この作業に担当者1人あたり平均1.5時間かかっていました。1ヵ月の稼働日を20日とすると、月に延べ300時間かかっていたことになります。
「三行提報」の数がこれ以上増加すると、しくみそのものが破綻してしまいかねない状況になっていました。
「仕事のAI」による「三行提報」の効率化が「現場の声」を最適化する
そこでサトーグループの課題に対し、AI技術を用いて解決へと動いたのが、リコージャパン社です。
リコージャパン社の展開する「仕事のAI」は、リコー社が開発してきた「自然言語処理AI」の技術を用いたサービスです。「自然言語処理」とは、人が使う曖昧性やゆらぎのある文章でも、離れた単語間の関係までを把握し「文脈」を考慮した処理を可能にするものです。このAI技術を活用して、顧客の膨大なテキスト情報を整理して利用・活用しやすい形にし、かつ、顧客の状況を把握して最適な情報活用システムを構築していくのです。
サトーグループの「三行提報」には多種多様な内容が含まれます。それら過去の膨大なデータから記載内容のパターンを抽出し、それをもとに経営者に伝えるべき重要な情報を選定する、というのは容易なことではありません。そこで、リコージャパン社では、汎用的なAIモデルを用いたシステム構築だけでなく、様々な試行錯誤を繰り返しながらAIモデル自体も新たに開発したのです。
AIは、過去に分類されたデータの内容とパターンを随時学習していきます。そして、そのパターンを基に、画一的・客観的な基準によって、経営者に優先的に伝えるべき情報が含まれる可能性のある「三行提報」を選別します。他方で、優先度の低い「三行提報」に含まれる典型的な文言・文字列のパターンを記憶し、それが記載されているものは一般情報として扱います。
このAIモデルにより、「仕事のAI」を導入する前と比較して、「三行提報」の選定にかかる人的コストが半分に削減されました。
また、AIは人為的なバイアスを排除し、客観的・均一的な基準で情報を選別します。
これにより今後は、読む人の主観によって報告にあげる情報のばらつきをなくし、情報の処理が迅速かつ効率的に行われることで、経営者はより有益な情報を安定して得られることも期待できます。
サトーグループでは、これらのAI技術の導入によって、スムーズな業務フローと正確な情報収集を実現しています。また、リコージャパン社としても、サトーホールディングス社の「三行提報」の課題の解決にとどまらず、さらなるAIの活用の可能性に向け、積極的な取り組みを進めています。
「仕事のAI」を通じた今後の取り組み
自然言語処理AIをはじめとして、AIは進化途上の技術です。また、AIが学習する情報が増えていけば、新たな課題解決にもつながります。リコージャパン社で今回のAIモデルの開発を担当した高野隆一氏は、その一例として、複数の異なる言語への対応や他の情報との連携を挙げています。
たとえば、「三行提報」は、日本だけでなく、世界各国の事業所で働く社員からも、さまざまな言語で提出されています。そのため、サトーホールディングス社では、将来的に言語の垣根を越えてすべての提報を体系的・画一的に処理できるようになればという期待もあります。
現在、「仕事のAI」においては、社内で蓄積した有益な知識やデータを、言語に左右されずに現場で効果的に活用できるように最適化する技術も研究開発が進行中です。
他にも、「三行提報」には、社員がキーワードで検索するほか、「お気に入り提報」の登録や、フィードバックを行ったりできる機能が組み込まれています。これらの情報も、AI技術の活用との相乗効果によって精度向上に寄与できる可能性があります。
最終的には、「三行提報」の内容に基づいて、ほぼ人の手を介さずAIにより自動的にレポートが生成されたり、人が見落としていた気付きを提示してくれたりするようになることを目指しています。
顧客とのパートナーシップで進化する「仕事のAI」
サトーホールディングス社 秘書部長 渡辺均氏は、今後も、リコージャパン社とパートナーとして協力しながら、新たな活用を試行していきたいと述べています。
たとえば、全ての社員がデータをより効率的に利用できるよう、社員同士のコミュニケーションツールとして「三行提報」を発展させたいとのことです。個々の社員がデスク上で容易にデータ分析を行える状況を創り出すことで、これまでは埋もれてしまっていた情報に光が当たり、課題解決と将来戦略策定において、より精度の高い意思決定が可能になるでしょう。
また、リコージャパン社も、この取り組みを通じて「仕事のAI」を進化させ、精度向上と共に広く利用可能になることを目指しています。今後、AI技術のさらなる進化によって、企業にとって単なる業務の合理化にとどまらず、新たな知見の獲得や課題解決への道を切り開くことが期待されます。
取材/文:齊藤大将
株式会社シュタインズ代表取締役。
情報経営イノベーション専門職大学客員教授。
エストニア国立タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究に従事。
現在はテクノロジー×教育の事業や研究開発を進める。個人制作で仮想空間に学校や美術館を創作。
また、CNETコラムニストとしてエストニアとVRに関する二つの連載を持つ。