豪州政府が日本に、居住用以外の不動産投資を呼び込む
オーストラリアでは、外国人による「中古居住用不動産」の購入ができません。そして、その背景には日本が絡んでいることはあまり知られていません。
1980年代後半、日本はバブル経済の真っ只中で、ジャパンマネーがオーストラリアに大量に流れ込み、現地の不動産を買い漁っていました。
当時のオーストラリアの経済規模は小さく、日本と比較すると国民所得も低かったため、外資によって国内の居住用不動産の価格が急上昇することは国民の利益を損ねることになります。そこで、その抑制策として、外国人による中古居住用不動産の取引に規制をかけ、購入できないようにしたのです。
しかし、オーストラリア政府とクィーンズランド州政府は、居住系以外の不動産投資(商業系オフィス・店舗、ホテル・ゴルフ場・マリーナなどの観光インフラ)に関しては、日本から開発業者、投資家を呼び込むことに積極的でした。
その理由の一つとして、当時、オーストラリアの不動産開発業者やファンドは今ほどの資金力がなく、ホテル一棟を建てるのに精一杯で、自国で観光インフラ施設を飛躍的に伸ばせる状況ではなかったことが挙げられます。
そのころの日本はバブル絶頂期で、余ったお金が外国に流れ始めたところでした。そこで、ゴールドコーストがあるクィーンズランド州政府をはじめとしたオーストラリア政府は、本来厳しいはずの不動産の開発規制の審査プロセスを一部緩めて「特区」を作り、日本の不動産開発会社や個人投資家の投資を、同州に積極的に誘致しました。
その甲斐もあって、まさに絶妙なタイミングで日本からオーストラリアに巨額のお金が流れたのです。
ちなみに、オーストラリア政府(外資審議委員会)の資料によると、1988年〜1991年の3年間に日本企業や個人投資家がオーストラリアの不動産に投資した金額は、約1兆1,000億円にもなりました。
そのうちの約4,000億円が、観光関連のインフラ不動産として、クイーンズランド州に投資されました。そして、そのほとんどの金額が、ゴールドコーストのホテルやゴルフ場、マリーナの開発、商業施設、別荘などに費やされたのです。
このように、短期間で日本から巨額の投資が行われ、ゴールドコーストは名実ともにオーストラリア国内最大のリゾート地に一変しました。
ちなみに、当時、ゴールドコーストには毎年多くの日本人旅行者やビジネスマンが往来し、ゴールドコーストの中心地のサーファーズパラダイスの店舗やレストランは日本人で溢れ、社会問題にもなったくらいです。