物価が安く、気候が温暖な東南アジアでのセカンドライフを目指す高齢者は多い。若い現地人妻・温かい家族と豪邸で暮らす人も少なくはないが、言語や環境に適応できず、女性にも捨てられて無一文で暮らす人がいるのも事実である。それでも日本で老後を送るよりは…と海外移住を決意した人々には、それぞれ語られるべきドラマがあった。ここでは、フィリピンで長く取材を続けたノンフィクションライターの水谷竹秀氏が、セブ島で暮らす日本人男性・中澤さんの、前妻とのエピソードを紹介する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
年金12万円、セブ島へ移住…フィリピン人女性と“嘘のような結婚生活” セブ島のビーチ(撮影:水谷竹秀)

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「一目惚れしちゃった!」言葉も話せないままセブ島へ

中澤さんが地元高知市からセブ島へ移住したのは2011年3月下旬のこと。東日本大震災の直後だった。

 

話が少しややこしくなるが、実は中澤さんの現在の妻は3人目である。1人目は28歳の時に結婚した日本人女性で、数年後に離婚した。子供はできなかった。

 

その次が前妻に当たるフィリピン人女性である。知り合ったのは、高知市内でタクシー運転手として働いていた2000年頃、足繁く通ったフィリピンパブに勤める女性、バンジーを介してだった。

 

そのバンジーからある時、「田舎の女の子を紹介してあげようか」と持ち掛けられ、中澤さんは50歳目前の頃に、フィリピン中部のシキホール島まで足を運ぶことになったという。この島はセブ島の南に浮かび、薬草を調合して病気を治す黒魔術師がいる神秘的な島として知られる。

 

その島で紹介してもらったのはバンジーの姪っ子で、当時18歳という若さだった。

 

「その子を見て一目惚れしちゃった!」

 

と言う中澤さんは島に1ヵ月滞在することになる。その間にバンジーを通訳として姪っ子の両親に結婚の意思を伝え、承諾されたのだという。

 

日本に戻ってからは、再び通訳を介して国際電話でのやり取りが始まった。数ヵ月後、今度は一人でシキホール島へ向かった。

 

「よくも1人でのこのこと来られたなあと。言葉も分からないおっさんが」と中澤さん自身もそう回想するが、すでに訪れた経験があるとはいえ、かなり無鉄砲な行動である。

 

その時に、結婚手続きを済ませ、相手の生活費、旅券や結婚ビザの取得費用として現金70万円を渡し、中澤さんは1人、日本へ帰国した。そして、日本にやって来た前妻を関西空港に迎えに行ったのはその半年後のことだ。

 

「彼女は1人でボストンバッグを持って降りてきました。私の顔を見てニコッと笑ったわけよ。それから日本での新婚生活が始まったんです。嘘のような本当の話でしょ?」