・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
・桜四十郎(さくら・しじゅうろう)
偶然入った喫茶店で出会った職業、住所、年齢ともに不定の謎の中年男性。なぜか金融関連の事情に詳しく、和久井にいろいろとアドバイスをするように。
市内に戻ってきて、川沿いのサイクリングロードを軽く流しているときだった。
ブルーシートで囲まれた段ボールハウスが並ぶ橋梁下に、府の職員がやってきて、ホームレスたちにハウスを撤去するよう求めていた。
そのホームレスの集団を背後に従え、腕組みをして交渉の前線に立っている男がいる。
サドルの上で和久井はあっと声を上げた。
「なるほど、自立支援センターね。そこに行けばとりあえず今日の寝座は確保できるんだな。ただ、その後の職安との連携なんかはどうなってんだ」
この代表に対して職員は、ホームレス自立支援特別措置法や自立支援センターなどの単語を並べて、けんめいに撤去のほうへと誘導している。
「確かに、俺はともかく、若いのは社会復帰したほうがいいよな」
桜さんの背後には、年の頃なら学生と見受けられる若者も交じっていた。
「まあ、俺たちの姿は観光客には見せて都合のいいもんじゃないから、とりあえずバラそう。もっとも、嫌だと言っても強制的に排除されるだけだからな」
この人はホームレスだったのか。
「桜さん」
河川敷の住人が段ボールハウスを解体しはじめた頃合いを見計らって、和久井は声をかけた。
桜さんはしげしげと和久井を見て、
「おお、一緒にまずいパスタを食った兄ちゃんだ」
「その節はどうも」
和久井は礼を言った。
「どうなった? あの喫茶店のおばさんの件は」
「なんだその格好は? 信金辞めて競輪選手になったのか」
「これは、ロードバイクです」
「だからなんだ」
「競輪の自転車じゃないんです。舗装された道路を速く走るためのバイクです」
「じゃあ競輪はトラックバイクなんて言うのかい?」
妙に理解が早いのだが、こっちの方面に話題を向けるわけにはいかなかった。
「それより桜さん、こんなところで何やってるんですか」
「いや、少しの間、ここにやっかいになってたんだが、ご覧の通り撤去を求められてな」
話が通じないので和久井は戸惑った。どうして融資に関してあんな的確なアドバイスができる男が、ホームレスをやっているんだ。
「どうなった? あの喫茶店のおばさんの件は」
桜さんが訊いた。
いつの間にか、お姉さんがおばさんになっている。
「俺、その件で礼を言いたかったんですよ。実はうまくいきそうなんです。ありがとうございました」
「そうか。じゃあ若いの、飯でも奢れや」
桜さんは単刀直入に言った。
「いいですよ」
ランチぐらいは喜んでご馳走しよう。こちらも北山を走ってきたので空腹だからちょうどいい。和久井はロードバイクを川沿いの道路に担ぎ上げて、上から河川敷を眺めながら桜さんを待った。
桜さんは、仲間に挨拶をしている。やがて土手に登ってきた。和久井はロードバイクを押しながら桜さんと肩を並べ、川下のほうへぷらぷらと歩きだした。
「何が食べたいですか」
「そうだなあ、なんか下品なものが食べたいな、ラーメンとか」
和久井はそのぞんざいな物言いの中に、こちらの財布をあまり痛め付けないような気遣いを感じた。
「ラーメンですか」
「おう、半チャン付けてくれれば嬉しいな」
和久井は思い切って言った。
「桜さん、俺んちで食いませんか」
「お前んち?」
「ええ、肉買って帰って、焼き肉にしましょうよ」
「そりゃあ名案だ。でも部屋に匂いがついちゃわないかな」
「いいんです、そんなの気にするようなところじゃないですから。じゃあ、この先にスーパーがあるので寄ってきましょう」
「よっしゃ。ついでにビールも買ってくれ」
桜さんはちゃっかりそう付け足した。