・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
「審査を通すのは初めてか」
和久井は、そうですと言った。
「融資案件の審査をする人間には、だいたい二種類ある」
興味深い話である。
「基本姿勢は前向きで、融資することを前提にして、落とし穴がないかをていねいにチェックする奴か、とにかく難癖つけることで自分の存在証明を誇示しようとやっきになっているケチくさい野郎か、だ」
わかる気がした。
「どっちが審査部の人間として優秀かは、言うまでもないよな」
そりゃそうだ。
「で、本社の担当はどっちのタイプだ?」
「わかりません」
正直に言ったつもりだった。
「初めてだものな」
オヤジはまた笑った、そんなものどうってことないさ、というふうに。だんだん和久井は、このオヤジの笑いが頼もしくなってきた。
「つまり、一度は審査部に花持たせてやるってことだ」
「でも、神部さん、あの、うちの本店の審査の人の名前なんですが、かなり厳しいって評判です」
「厳しくない審査ってのも問題だからな」
オヤジはテーブルに置いてあったうちわを揺らしながら、また笑った。
「とにかく、そういう審査の人間は大事にしたほうがいい。で、当然、向こうは毎月の定期収入が不安定だってところは突いてくる」
「はい」
「審査部なら突かなきゃ嘘だ」
「で、そのときは、お前は、あって驚いて、すみません、おっしゃる通りですよね。ご指摘ありがとうございます、ちょっと考えますって、いったん引き下がるんだよ」
「え、押さないんですか」
「いったんはな。それで、一日か二日おいて、娘さんも入れて世帯で見た場合は、このくらいのキャッシュフローがありますけれど、これではいかがでしょうか、って再度審査を頼むんだ」
「それは、つまり―」
「つまり、一度は審査部に花持たせてやるってことだ」
「なるほど。喫茶店もゆくゆく人に貸すので、その家賃収入も入る」
少し元気になった和久井が言った。
「そうなったら完璧だな」
「ありがとうございます」
「じゃあ、海老天食っていいか」
「え、……ええ」
「お姉さん、海老の天ぷらをこっちにひとつ」
どうやら、ここの勘定も自分に持たせるつもりらしい。もっとも、もらった情報の価値からいうと安いものだ。いや、安すぎる。そもそも、この男はいったい何者なんだろうか。金融コンサルタント? だったら、飯代をたかるというのは筋が通らない。
そんな推理を働かせていると、オヤジは驚くべきことを言い放った。
「いやあ、兄ちゃんが現れてくれて助かったよ。あんまり腹が減ったから、さっきの店に入ったんだが、誰も客がいないんでさ。それもそのはずだよ。あんな味じゃ客が寄りつくはずもねえや。食い逃げするのも気の毒だし、皿洗いで勘定払うっていうほど洗わなきゃいけない皿もたまってなさそうだしな」
「ひょっとして……」
「ああ、無一文だ」
オヤジは堂々としている。
「金融マンじゃないんですか」
「金融マンが平日の昼間に、こんな格好でぶらぶらしているわけないだろう」
まあ、そうだが、それを自慢げに言うのもどうかしている、と和久井は思った。
「ただ、金貸し業はあんたよりは詳しいよ」
どうやらそうらしい。和久井はうなずいた。
「お名前を伺っていいですか」
「名前かあ」
男は、そば屋の窓から外を見た。鴨川の流れに沿って、しだれ桜がはらはらと花びらを散らしている。
「桜」
「桜、桜さんですか」
「ああ、桜四十郎(しじゅうろう)、……といっても、もうすぐ五十郎(ごじゅうろう)だがな」
オヤジは顎の無精ひげを撫でた。
「桜さん、本当にありがとうございました」
和久井はそば屋のテーブルに両手をついて、深々と頭を下げた。