・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
「乗り気だってことだよ」
店に戻ると、そば湯を猪口に注ぎながらオヤジが事もなげに言った。けれど、安定収入が、審査が、と和久井が言いかけたとき、オヤジの手が目の前に伸びてきた。
「俺にも名刺一枚くれないか」
和久井はあわてて名刺を出した。
「和久井健太君ね、何年目だ?」
「三年目です」
「そうか、俺って金貸し業に向いてるんだろうかとか、いろいろ悩む頃だよな」
ドキリとした。
「けど、自分にはいったい何が向いているのかを考えると、ハッキリしたものは何もない」
そう言って、オヤジはニヤリと笑った。こっちの心中を見透かされているようで気味が悪い。
「二年店舗にいて、今年から外回りか」
和久井はうなずいた。
「まあ、がんばれ。金貸し業で、外回りやらないで出世する奴はいないさ。特に信金なんてのは外回りが命だろ」
「審査は、まあ大丈夫だよ」
あの、と和久井が話を遮った。
「審査は、まあ大丈夫だよ」
また先を見越したようにオヤジは言った。
和久井は正直に不安を打ち明けた。
「融資の件は、審査を通らないとなんとも言えないじゃないですか」
「そりゃそうだ」
「そりゃそうだって、そんな無責任な。安定収入の件で疑問視される可能性だってあるのに」
オヤジは和久井の蒸籠を、ついと前に指で押し出した。
「まあ食えよ。ここはなかなかうまいぞ」
そう言って、また笑った。
「あのマダム、娘がいるって言ってただろ?」
和久井がそばを一口啜ったとき、オヤジが言った。
「ええ」
「看護師だと年収で三百万ほどあるはずだ」
「はい」
「一緒に住むんなら、審査部には、ここは世帯で見てくれと言え」
なるほど、と和久井の箸は思わず止まった。
「まあ、食いながら聞いてくれりゃいいよ」
和久井の箸がまた動く。うまい。
「つまり、世帯で見れば純資産はかなりある。それからフローの金もオーケーだ。みなみ病院が明日つぶれるなんてことはないだろ。つまり定期収入も安定性もばっちりだ」
和久井は感心した。
「大丈夫、通るよ」
男はニヤッと笑った。
「いいか、貸借対照表だけ見ても出てこない情報ってのがあるんだよ、それをちゃんと拾っておくんだ」
なるほどと和久井はうなずいた。しかし、不安がすべて払拭されたわけではなかった。