・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
・田中光男(たなか・みつお)
洛中信用金庫北大路支店の営業主任で和久井の上司。嫌みたらしく怒りっぽい。好きな格言が「触らぬ神に祟りなし」で、嫌な仕事は部下に任せる。
そば屋に入り、注文をすませると、和久井はスマホをつかんでいちど外に出て、店先で田中主任に電話を入れた。
変なオヤジのことは話さずに、たまたま入った喫茶店の女主人と世間話をした流れで、こういう案を出してみたのですが、とおずおず打ち明けた。
「なるほど、いけるかもしれへんな」
田中主任の反応は意外にもよかった。しかし、
「けど、最終的には審査部の了解がいるで」と後がついた。
確かに、六千万円の融資ともなれば、支店長の決裁というわけにはいかず、案件を本店の審査部に送らなければならない。審査部というのは、いろいろと思いがけない穴を指摘してくるものだ。いけると踏んでダメ出しされたら、また評価が下がると和久井は不安になった。
「それに、安定収入が不安定なのがネックやな。そのへんは審査の神部はうるさいで」
それは和久井も気にはなっていた。とりあえず、わかりましたと言って切ると、また店内に戻った。
店に入ると、注文した蒸籠がすでに来ていて、オヤジは箸でそばを持ち上げていた。
「いけるかも、とのことです」
腰を下ろすと、和久井はまずそう報告した。
「いけるさ」
そう言って男はズルズルとそばをすすった。
「ただ、安定収入がないのが問題になるかもしれないと言われました」
オヤジは薄く笑ってそばをつゆにつけている。
なんだよ、どうやって乗り越えればいいのかの案もなしに安請け合いしてるのかよ、と和久井は腹立たしくなった。
「あんまり期待持たせたらあかんやんか」
和久井のスマホが鳴った。田中主任からだった。
「もしもし」
スマホを耳に当てながら、また和久井は店を出た。
〈ああ、いま見崎優子さんという人から電話があった。府立医大の近くで喫茶店やってるゆう人や〉
「はい」
あの女主人だ。なんだろう。苦情だろうか。
〈和久井健太という職員がほんまにいるのかどうかを確認してきたで〉
「はい、さっき話したのはその方です」
〈電話を取ったのは、たまたま店に戻ってた佐久間でな。二千万預金して、六千万円融資してもらえるのかとか言うてはったけど〉
和久井は冷や汗が出た。そんなところまで話してるのか。
〈佐久間は、とりあえず和久井から連絡させます言うて切ったそうや〉
「はい」
〈審査も通らんうちに、あんまり期待持たせたらあかんやんか〉
「すみません」
また和久井は店先でペコペコと頭を下げながら電話を切った。