・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
やれやれ、これでまた肩身が狭くなったな、と思いながら和久井はトイレから出た。すると、自分の席の向かいに、例のオヤジが座っている。和久井がビックリしたのはそれだけではない。オヤジはテーブルに広げた資料を勝手に見ているではないか。
「何しているんですか、やめてください」
「お前、銀行マンか」
オヤジは悪びれる様子もない。
「信金です」
少しすねたように和久井が言った。
「こんなところに資料ほっぽり出しちゃ駄目じゃないか。大体、金融マンが外でこんなもの取り出すなんてのは言語道断だぞ」
確かにその通りである。
「でも、お前、そこには今後も顔出したほうがいいぞ」
「ふむ、洛中信金か」
どうやら資料のレターヘッドを見られたようだ。
「さっきの電話、さては借り換えられたな」
和久井は二の句が継げなかった。
「それは金貸し業としては痛恨の極みだな」
「ほっといてください」
「でも、お前、そこには今後も顔出したほうがいいぞ」
「え? 借り換えられたんですよ、しかも全額です」
「だからこそ顔を出すんだ。それから、そこの家族構成は知ってるのか」
「いえ、知りません」
「駄目だなあ、そういうこともちゃんと調べとけ。子供はいくつくらいなのかとか、奥さんの趣味は何かとか……」
「ほっといてください、あんた誰なんですか」
和久井のコーヒーが運ばれてきた。コーヒーをテーブルの上に置くと、中年の女主人は卓上の皿を見て「あら」と声を出した。
「ずいぶん残しはったなあ、そんなにおいしくなかったんかいな」
いえ……と和久井は口ごもりながら言う。客だから、まずければ正直にそう言えばよさそうなものだが、なかなかズバンと直球を投げられない性分なのである。ところが目の前にいた中年男は遠慮なく、
「お姉さん、美人だけど、料理は下手くそだねえ」と言ってニヤニヤした。
「やっぱり……」
女主人の顔が曇った。
「どうして喫茶店なんかやってるの?」
男は和久井のために運ばれてきたコーヒーを勝手に飲んで、
「あら、コーヒーもぬるいなあ。お姉さん、食い物出す店は向いてないよ」
「そんなこと言われんでも、わかってますさかい」
女主人はふくれっ面をしてみせた。