・和久井健太(わくい・けんた)
京都にある洛中信用金庫に就職。入社三年目を迎え、北大路支店の営業部に配属されるも、引っ込み思案がわざわいして、苦戦。最近自分がこの仕事に向いているのか悩んでいる。
・田中光男(たなか・みつお)
洛中信用金庫北大路支店の営業主任で和久井の上司。嫌みたらしく怒りっぽい。好きな格言が「触らぬ神に祟りなし」で、嫌な仕事は部下に任せる。
スマホが鳴った。
「もしもし」
〈お前、なにやっとんねん〉
田中主任はいきなりこう切り出した。
「はい」
〈先ほど、こだま屋さんから電話があった。内容は言う必要ないわな〉
店に戻ってうまく説明するつもりが、先を越されるという最悪のエンディングである。
〈おまえなあ、言いにくいことほど早めに報告せんといかんちゅうて、なんべんも教えたやろ〉
「すみません」
〈エラい大きな魚逃がしてくれたなあ。こだま屋さんゆうたら、三代前からの付き合いやねんで〉
「けれど、金利が」
京都では長きに渡って、都銀・地銀・信金との間で金利の差はなかった。しかし、ここ最近、住菱(すみびし)と葵(あおい)という二大都銀が低金利を謳い、にわかに攻勢をかけてきたのである。
〈金利? 確かにうちは金利の件でいろいろと嫌味を言われてた。そやけど、そこをあんじょうやるのが営業やろが〉
あんじょうやると言われても、こだま屋の旦那さんからは、「仁科さんも辞められたし、金利がなんともならんのなら、借り換えさせてもらうさかい」とはっきり条件を突きつけられたのである。
胃が痛みだした、これは、手で腹を押さえていれば治るというものでもなさそうだった。
〈金利を下げて借りてもらうなんてことは、アホでもできるんや〉
「ええか、これ以上借り換えされたら承知せんぞ」
ひょっとして、あのドロドロのナポリタンが原因かもしれない。和久井は立ち上がった。その時、鞄に戻したつもりの書類が滑って床に落ちたのにも気づかなかった。和久井は携帯電話を耳に当てたまま、店の奥へと進んだ。こういう造作の店はトイレは奥だと相場が決まっている。
女主人が「あら」と言った。
「おトイレ? おトイレは入り口の脇」
畜生、外れた。
〈トイレやと? お前、トイレで俺の小言を聞くつもりかい〉
田中主任が怒鳴った。
「いえ、そんなつもりは」
そう言いながら和久井はドアを閉め、ベルトを外した。
〈ええか、これ以上借り換えされたら承知せんぞ〉
はい、と答えたものの自信がなかった。
〈こだま屋さんの分をなんとか取り返さんと三島部長が黙ってない。それに、新しい支店長の性格はお前ももうわかってるやろ。攻めの姿勢が足りんのや、お前は〉
「わかりました」
そう言って和久井はうっかりレバーを跳ね上げた。景気よく〈大〉の水が流れた。
〈やっぱりお前、トイレでかけとるんやないか、もう勝手にせい!〉
そう叫ぶ主任が先に切った。