(※写真はイメージです/PIXTA)
妻の葬式に息子家族を呼べない
「帰れ。お前たちに母さんを見送る資格はない」
居間の遺影が寂しげな、がらんとした自宅。この家に一人暮らしになったシュンジさん(74歳)は、実の息子とその家族にそういったそうです。
妻のミヨさんは、すい臓がんとの闘病の末に他界しました。自宅の玄関先で、10歳になる孫のダイちゃんが見ているのにもかかわらず、長男のアツヤさんとその嫁を怒鳴りつけたときのことを、シュンジさんは悔しさを滲ませて振り返ります。
亡き妻の「孫差別」の果て
地方にある実家のすぐ近くには、アツヤさんの姉・マオさんが夫と中学生の娘とともに暮らしていました。マオさんは年金生活になった両親の体調を気遣い、日ごろの買い物や通院の付き添いなど、身の回りの世話を甲斐甲斐しく担ってきました。
ところが、母のミヨさんが心から可愛がっていたのは、東京で暮らす長男のアツヤさんです。ミヨさんの長男びいきは孫の代になっても露骨に続き、たまにしか顔を見せないアツヤさんの息子・ダイちゃんばかりを溺愛していました。
小学校の入学祝いや進学塾の費用などについて、アツヤさんの嫁から相談されるたび、ミヨさんは定期預金を取り崩し、金銭援助を惜しみなく行っていました。一方で、すぐそばで両親を支えるマオさんに対しては、孫へのお年玉や誕生日祝いを渡す程度。マオさんは以前から、弟である苦労知らずなアツヤさん、要領よく母に取り入るアツヤさんの嫁の態度や、あからさまな「孫差別」に強い不満を募らせていました。
こうした関係性が一層こじれてしまったのは、ミヨさんの闘病が始まってからのことです。
がんの投薬治療によって、ミヨさんは手足の爪が割れ、指先が深いひび割れのような状態に。料理や洗い物などの水仕事をすると、すごく痛むそうで、生活が上手く回せなくなりました。シュンジさんは家事が一切できません。シニア配食サービスを手配したり、マオさんが捨てられる皿に入れて料理を作って届けたりと、マオさんの負担は増えました。
さらに、ミヨさんの薬が効かなくなり、転移したがんによって容態が悪化すると、日々の食事の世話、看病の負担は、マオさんにさらに重くのしかかりました。アツヤさん一家は「仕事が忙しい」「ダイの塾がある」と理由をつけ、見舞いにはなかなか来られません。
仕事をやりくりしながら、身を粉にして母を看病し続けたマオさん。そしてミヨさんが息を引き取ったとき、積年の怒りがついに爆発しました。
「お母さんは最後まで、たまに来るアツヤとダイのことばかり気にかけていた。あれだけ援助してもらっておいて、しんどい役目は全部私に押し付けて……。あの人たちだけは絶対に許せない。もしあの一家をお葬式に呼ぶなら、お父さんの面倒は今後見ないから!」
泣き叫ぶ娘の姿に、シュンジさんはなにも言い返せませんでした。長年、妻のえこひいきを知りながら波風を立てまいと黙認し、重い介護を娘一人に背負わせてしまった自責の念が、シュンジさんの胸を締め付けます。
娘への申し訳なさと、これまで都合よく甘えてきた息子夫婦への憤り、そして家族が完全に壊れてしまった絶望感。妻を失い、息子一家を追い返し、娘とも深い傷を残したまま、一人暮らしを送ることになったシュンジさん。残された広い自宅には、長年見過ごしてきた家庭内の不均衡がもたらした、孤独だけが漂っていました。