定年退職後は、仕事中心だった生活から離れ、自分の時間を楽しみたいと考える人もいるでしょう。一方、経済的な不安が少なくても、退職後に人との接点が減り、日中の過ごし方に困る人もいます。現役時代には職場で自然に生まれていた会話も、退職すれば自分から求めなければ得られません。時間とお金に余裕があることが、必ずしも充実した老後につながるとは限らないのです。ある男性の事例から、完全リタイア後の生活について考えていきます。※本記事に掲載している事例は、プライバシー保護および情報の一般化のため、実際の相談事例をベースに一部の数値や設定を変更・再構成したモデルケースです。
「まさかうちの夫が…」〈年金月18万円〉〈金融資産4,500万円〉「家にいてもやることがない」と嘆いていた66歳元メーカー課長、退職後に始めた「意外な趣味」 ※写真はイメージです/PIXTA

本格カレー作りに夢中になり、妻も驚く変化

初めての教室で習ったのは、複数のスパイスを使って作る本格的なカレーでした。市販のルーを使う家庭のカレーとは違い、スパイスの種類や分量、炒める順番によって味が変わります。

 

田中さんは、材料をそろえるだけでも思いのほか手間がかかることに驚きました。一方、講師の説明を聞きながら調理を進めるうちに、料理に対する関心が高まっていきます。

 

「仕事では数字を扱うことが多かったので、分量を変えたら味がどう変わるのか、試してみたくなったんです」

 

その後も教室に通い、家でもカレーを作るようになりました。スパイスを少しずつ買いそろえ、習ったレシピを見ながら調理します。最初はレシピどおりに作るだけでしたが、慣れてくると、辛さや香りを調整するようになりました。

 

これまで台所に立つことがほとんどなかった夫の変化に、妻も気づき始めます。ある日、田中さんは自分が作ったカレーを夕食に出しました。

 

「夫が料理を作るなんて、結婚してからほとんどなかったんです。最初は何かあったのかと思いました。でも、食べてみたらおいしくて。次はいつ作ってくれるのかと、楽しみになりました」

 

妻はそう振り返ります。田中さんも、自分が作った料理を喜んでもらえたことがうれしかったといいます。料理教室で習ったことを家で試し、妻に感想を聞く。夫婦の間で、これまであまりなかった会話が生まれるようになりました。

 

内閣府『令和8年版高齢社会白書』では、日常の困りごとが生じた際に頼れる相手や、友人との交流、社会活動への参加なども調査されています。高齢期には、家族以外とのつながりを持つことも大切です。新しい趣味や学びの場は、活動そのものを楽しむだけでなく、人と知り合う機会にもなります。

 

田中さんは現在も料理教室に通い、月に数回は自宅でカレーを作っています。スパイスの種類を増やすことも楽しみの一つになりました。

 

「退職したら、好きなことをすればいいと思っていました。でも、何が好きなのか、自分でもわかっていなかったんですね。今は教室に行く予定もありますし、家で作ってみたい料理もあります」

 

内閣府『令和6年度 高齢者の経済生活に関する調査』によると、全体で生きがいを感じている割合は74.8%ですが、「趣味やおけいこ事」を行っている人では93.1%に達しています。また、この1年間で始めた学習活動でも「料理や裁縫などの家政・家事」が12.1%と最も高くなっています。

 

田中さんのように、退職後に新たな趣味や学びを通じて家庭外での接点や役割を得ることは、日々のハリや夫婦間の会話増加、生活の質の向上に直結します。