子どもの進学や独立を機に、長年家庭に入っていた専業主婦が就労を始めるケースは少なくありません。事例を通じて、その就労が単なる社会復帰にとどまらず、婚姻関係の清算を見据えた「経済的自立の足がかり」となっている実態と、熟年離婚の背景について解説します。※プライバシー保護のため、事例の人物名はすべて仮名です。
「熟年離婚するためです」51歳まで専業主婦だったが…年収280万円で働きはじめた妻。焦る夫を尻目に限界を迎えた“積年の恨み” (※写真はイメージです/PIXTA)

妻が働きはじめた理由

「離婚したくて。だから働きはじめたの」

 

自室のデスクで自分のタブレットを開いていたユウジさん(53歳)は、画面に流れてきたLINEの通知を目にし、全身の血が引いていくのを感じました。設定の不手際で、妻のハナさん(51歳)のアカウントと同期されていたタブレット。そこに映し出されていたのは、ハナさんが友人に宛てて送ったメッセージです。

 

ハナさんは結婚前、ドイツへの留学経験があり、日常会話以上の語学力を備えていました。しかし結婚・出産を機に退職して以降、20年以上にわたって専業主婦として家庭を守り続けてきました。

 

転機が訪れたのは一年前のことです。一人娘が大学に進学したタイミングで、ハナさんは「私もいい加減、子離れしないとね」と笑顔で語り、地元の大学にある海外学生支援課で語学力を買われ、非常勤職員として働きはじめました。年収は約280万円。ユウジさんは「社会復帰できてよかったじゃないか」と受け止めていましたが、その就労の裏には、「離婚へのカウントダウン」が存在していたことが判明します。

 

ハナさんが長年仕事を断念せざるを得なかった背景には、娘の存在がありました。娘は幼少期から身体が弱く、小・中学校に上がってからも急な発熱や体調不良で頻繁に早退や欠席を余儀なくされていたのです。中学生以降、娘の体調は次第に安定していきましたが、心配性で過保護気味になっていたハナさんは、「万が一のときのために」と自宅で娘を見守る生活を続けていました。

 

しかし、ユウジさんはそうした妻の献身や苦労を理解しようとはしませんでした。それどころか、ハナさんの心には一生消えることのない「積年の恨み」が深く刻み込まれていたのです。

 

決定的な亀裂が生じたのは、20年前の出産直後。ユウジさんの一族は自身を含め、親も妹も周囲から容姿を褒められることが多く、ルックスに対する強いこだわりを持つ家庭環境でした。一方のハナさんは、どちらかといえば素朴な見た目。そして、生まれてきた娘の顔立ちはハナさん似でした。

 

産院のベッドで抱きかかえられた生まれたばかりの娘を前に、ユウジさんはヘラヘラと笑いながらこう言い放ったのです。

 

「ハナ似じゃん。こんな顔じゃ可愛がれないよ。連れて歩けない」

 

命がけで出産し、身体も心もボロボロだったハナさんにとって、その言葉は生涯忘れられない刃となって心に刺さりました。

 

さらに、産後の肥立ちが悪く起き上がることすら辛かった時期も、ユウジさんは家事や育児に一切協力せず、「たまの休みくらい息抜きさせろ」と一人で実家に帰省したり、友人と飲みに行ったり、とさまざまな理由をつけて家を空けました。その後も、娘の看病で疲れ果てるハナさんに対して「一日中、家にいられて楽でいいな」と、専業主婦を下に見るような発言をことあるごとに繰り返してきたのです。

 

夫からの蔑視と無関心に耐えた18年。ついにハナさんは自立のための行動に出ます。それが、自分の能力を生かした再就職でした。

 

「妻が自分のもとを去る準備を進めている」という事実に気づいたユウジさんは、いまさら慌てて家事を手伝おうとしたり機嫌を取ろうとしたりしていますが、ハナさんの視線はすでに遠く、冷ややかな壁が二人のあいだに横たわっています。