「年収850万円の壁」に阻まれてきた高所得者層
高橋さんのように、配偶者の急逝によって一時的な困窮に陥る高収入世帯は少なくありません。しかし、これまでの日本の年金制度において、彼らが公的な救済を受けられる道は閉ざされていました。遺族年金を受け取るためには「年収が850万円未満であること」という厳しい収入要件が設定されていたためです。
この収入要件は、「社会通念上、著しく高額の収入がある場合には、生計を維持されていたとみなさない」という考え方に基づいています。厚生年金加入者のうち、標準報酬月額が高い上位10%の層の報酬を年収換算した結果として、この850万円という金額が決定されました。
そのため、高橋さんのように年収1,000万円を超えるサラリーマンは、どれほど実態の家計が苦しくとも「著しく高額の収入がある者」とみなされ、遺族年金は1円も受け取れないのがこれまでの当然の常識だったのです。高所得ゆえに高い保険料を納め続けているにもかかわらず、万が一の際の公的保障からは排除されるという矛盾を、多くの経営者や高収入会社員が抱えていました。
こうした現状を踏まえ、2025年の年金改正では遺族年金の仕組みが大きく見直されることになりました。最大の目玉は、「60歳未満の者が配偶者を亡くした場合、5年間限定の遺族厚生年金を支払う」というルールの新設です。
この5年間限定の遺族厚生年金には、従来の制度とは異なり「年収850万円未満」という収入要件がありません。つまり、どんなに高収入であっても、他の要件を満たせば5年間は年金を受け取ることが可能になります。さらに、死亡した配偶者の厚生年金加入期間をもとに算出した額の4分の1が「有期給付加算」として上乗せされる仕組みも導入されます。
配偶者の死亡直後は、心理的ショックに伴う生活面への影響から、一時的に生活コストが上昇しやすいものです。年収にかかわらず一律で支給されるこの新制度は、短期的な生活再建策として機能することが期待されています。
注意したいのは、改正法の施行が2028年4月1日からという点です。同日以降に配偶者を亡くしたケースでなければ新しいルールは適用されません。高橋さんのように、すでに配偶者を亡くして現在苦しんでいる世帯や、施行前に悲劇に見舞われた世帯は、この新しい制度の対象外となります。
また、この改正は男女差の解消を目的としているため、これまで遺族厚生年金を生涯受け取ることができた女性側の受給期間が、原則5年間に短縮されるという側面も持っています。
「高収入だから大丈夫」という思い込みが、不測の事態においていかに脆いものであるか。そして、新しくなる国の保障もまた、すべての困窮をリアルタイムで救ってくれるわけではないという厳しい現実があります。