墓じまいを終えて、初めて気づいた「失ったもの」

墓じまいには墓石の撤去、解体費用、遺骨の取り出し、移送費用、新たな納骨先の使用料、僧侶への閉眼供養、お布施と、総額100万円程度が掛かりました。決して安い金額ではありませんでしたが、「これで肩の荷を下ろせたな」と納得して支払いました。

先祖代々の墓は撤去され、遺骨は共同墓地へ。形式上は、きちんと供養されたはず。和夫さん自身も、妻も、将来は同じ共同墓地に入る予定です。「形は変わっても、供養は続く」。そう自分に言い聞かせていました。

しかし、何も伝えていなかった親戚たちに事後報告をすると、心ない言葉も浴びせられました。

「先祖のお墓を片付けるなんて」
「よくそんなことができたね」

内心では「当事者でもないのに、好き勝手言って……」と思いながらも、言い返すことはできませんでした。また、夏休みに遊びに来た孫(9歳)のひと言に胸を突かれました。

「おじいちゃん、お墓は? 行かないの?」

その瞬間、和夫さんは言葉にしがたい喪失感を覚えました。息子は忙しくても、夏休みには嫁が孫を連れて遊びにきてくれて、毎年暑い中、和夫さん夫婦と嫁、孫と一緒にお墓参りに行くのが恒例でした。行きがけには花を買い、お墓に水をやり、手を合わせて帰り道でアイスクリームを食べる。

孫にとってみれば、お墓参りは「夏休みの恒例行事」の一つだったのでしょう。何より、子どもが「自分の先祖」という存在に言葉にならない形で触れる、数少ない機会でした。共同墓地では、どうしてもそれが希薄になります。

ひょっとしたら、この決断が、自分はもちろん、孫にとって大切な時間を奪ってしまったのではないか? そう気づいたのです。

自分たちも、お墓の管理にかかるお金が払えないほど経済的に追い詰められていたわけではない。息子たってのお願いでもない。確かに草むしりや掃除は少し負担だったが、それだけで決めていいことだったのか――?

しかし、すでにお墓はありません。

「もっと慎重に考えるべきだった。結果的に墓じまいを選択したとしても、こんなにモヤモヤすることはなかっただろうに」

――和夫さんにとっては、後悔の残る墓じまいとなったのです。