地震で亡くなった人の持ち物に多額の現金や通帳、株券

2011年3月11日14時46分、宮城県沖で発生したマグニチュード9.0の大地震は、東北地方の太平洋沿岸に押し寄せる大津波を引き起こしました。この「東日本大震災」は、関連死を含め2万人を超える死者を出したのです。

当時、私は東京勤務でしたが、大きな揺れを感じて外に逃げ出すほど恐怖しました。無事を確認して職場に戻り、テレビをつけたところ、押し寄せる津波や燃えるコンビナートなどが映し出され、茫然としたのを覚えています。

地震発生からおよそ2時間後、警察庁から私の携帯電話に着信があり、「死者が相当出ると予想されます。検案が必要となりますが、派遣で向かうことはできますか」と問われました。

警察庁はすでにこの時点で、相当数の死亡者が出ることを察知していたのです。差し迫った業務もなかったので承諾し、3月13日に機動隊のバスに乗りこんで、私は宮城県へ赴くことになりました。

1週間の滞在中、予想をはるかに超える数のご遺体の検案を行ないました。多くは溺死と判断されましたが、実際には、圧迫や外傷、もともと持っていた病気の悪化、寒冷によるものなど、さまざまな要因が複合的に作用したものと考えられました。

また、多くのご遺体は身元不明だったので、顔や体格、歯など、身元を特定できる身体的所見のほか、着衣や持ち物などの確認も行なわれました。

持ち物を確認して驚いたのは、多額の現金や預金通帳、株券などの有価証券を、ポケットやポーチに入れていた高齢者が何人かいたことです。なかには、1,000万円近くの現金を持っていた人もいました。

突然発生した災害にもかかわらず、なぜ現金や貴重品を持っているのか不思議に思っていたところ、警察から「数日前から地震があったから、事前に準備していたんでしょう」と言われました。